写真:Amazonより
韓国の小確幸についての小不確考
韓国の小確幸について、もう少し調べてみました。
村上春樹が小確幸について書いた2つのエッセイ集のうち、『ランゲルハンス島の午後』は1986年刊行。『うずまき猫のみつけかた』は1996年刊行です。
韓国で小確幸が流行語になったのは2018年。20年から30年以上も時間が経っています。
村上春樹の小説は、日本で出るとすぐ韓国語に翻訳されますが、エッセイのほうは翻訳されるのが遅かった、ということが考えられます。
韓国で2冊のエッセイ集がいつ刊行されたかを調べてみました。
まず、『ランゲルハンス島の午後』は、1994年3月31日に、ぺガムという出版社から『村上春樹随筆集3 ランゲルハンス島の午後』(他のエッセイ集との抱き合わせ)として刊行されましたが、現在は絶版。
その後、この随筆集は『村上春樹エッセイ傑作選』(全5巻)に再構成されて、2012年7月24日に文学ドンネという出版社から刊行されました。『ランゲルハンス島の午後』は第5巻に収録されています。このシリーズは「正式な契約を結んで刊行された」とのことです。その前に出ていたものは、海賊版だったということでしょうか。
一方、『うずまき猫のみつけかた』のほうは、1999年に文学思想社から『春樹、日常の余白』という書名で刊行され、その後、2001年5月31日に書名を『小さいけれど確実な幸福』に改めて再刊。さらに2015年6月26日に、『こんなに小さいけれど確実な幸福』という書名で新装版が出ました。
書店のウェブサイトで本書からの抜粋が読めますが、これがまさに「小確幸」を説明した部分でした。日本語原文は、次の通り。
生活の中に個人的な「小確幸」(小さいけれども、確かな幸福)を見出すためには、多かれ少なかれ自己規制みたいなものが必要とされる。たとえば我慢して激しく運動した後に飲むきりきりに冷えたビールみたいなもので、「うーん、そうだ、これだ」と一人で目を閉じて思わずつぶやいてしまうような感興、それがなんといっても「小確幸」の醍醐味である。
しかし、韓国語の訳文には「小確幸」という漢字語は使われておらず、原文のカッコ内の「小さいけれども、確かな幸福」の部分だけが訳されていました。そして、この言葉が「書名」としても採用されていたわけです。
話がそれますが、2000年以前の韓国の出版界は、海外著作権の無法地帯でした。
1990年まで、韓国は国際著作権条約(万国著作権条約、ベルヌ条約など)を結んでいなかったため、海外の作品の著作権は保護されず、無許諾で翻訳することができました。海賊版は「不当だが合法」だったのです。
1990年に韓国は国際条約に加入しました。ところが韓国政府は「国内の出版社を保護する」ため、「1990年以前に無許可で翻訳された作品については、今後10年間(2000年まで)、原著者の著作権を保護しない」と一方的に宣言しました。当時の韓国は、著作権の発展途上国だったのですね。
もちろん、1990年以後に新たに翻訳をする場合は、原著者の許諾を得て著作権料を払ったうえで翻訳することが必要となりました。しかし、正式な契約をする出版社は少なく、相変わらず海賊版が横行していました。著作権侵害は親告罪で、訴えるには著者権者が韓国の裁判所に告訴する必要があったため、権利侵害があっても泣き寝入りする著者が多かったからでしょう。
韓国の出版社が海外作品の翻訳にあたって、ちゃんと契約を結び、著作権使用料を払うようになったのは、2000年以後のことです。
上で見た通り、2012年に刊行された『村上春樹エッセイ傑作選』(文学ドンネ刊)が「正式な契約を結んで刊行された」と自慢げに書いているのは、それ以前の翻訳が海賊版だったことを示唆しています。
話を元に戻すと、日本で1986年に刊行された『ランゲルハンス島の午後』の韓国初訳は1994年、日本で1996年刊行の『うずまき猫のみつけかた』の韓国初訳は1999年と推測されます。
現在入手可能なバージョンは、『ランゲル…』が2012年の『傑作選』(セット販売)。『うずまき猫…』が2015年刊の単行本です。
いくつかあるバージョンがそれぞれどれくらい売れたかはわかりません。おそらく2015年刊の『こんなに小さいけれど確実な幸福』(原題:うずまき猫のみつけかた)は、そこそこ売れたのではないでしょうか。
前回の記事で紹介したKBSニュースの記事には次のように書かれていました。
(2017年)7月7日、KBS 2ラジオ「キム・ナンドのトレンドプラス」で、2018年の消費の主な流れとして「小確幸」を提示した。
おそらく韓国の大手広告代理店が2015年頃に、村上春樹の造語「小確幸」に目をつけ、韓国内でさまざまな「小確幸イベント」を企画し、「2018年の消費トレンド」として育てていったのだと思われます。
韓国における「小確幸」とは、一流大学を卒業して財閥に就職したり、家柄のいい相手と結婚したり、江南(カンナム)にアパート(日本で言う高級マンションのこと)を買ったりする「大きな幸せ」の対立概念としての、「ささやかな幸せ」のことです。
一方、村上春樹の「小確幸」は、幸せの大小を問題にしているのではないと思います。
…というのは人生における小さくはあるが確固とした幸せの一つ(略して小確幸)ではないかと思うのだが、これはあるいは僕だけの特殊な考え方かもしれない。(『ランゲルハンス島の午後』新潮文庫版83ページ)
生活の中に個人的な「小確幸」(小さいけれども、確かな幸福)を見出すためには、多かれ少なかれ自己規制みたいなものが必要とされる。(『うずまき猫のみつけかた』126ページ)
「ほかの人はそう思わないかもしれないが、自分だけは確かに感じる幸せ」、「自分ならではの、個人的な幸せ」というニュアンスが強いはずです。
「韓国の小確幸は、村上春樹が造語した小確幸とは似て非なるものである」
というのが、私の「小不確考」(小さくて不確実な考察)の結論です。
韓国の小確幸についての小不確考
韓国の小確幸について、もう少し調べてみました。
村上春樹が小確幸について書いた2つのエッセイ集のうち、『ランゲルハンス島の午後』は1986年刊行。『うずまき猫のみつけかた』は1996年刊行です。
韓国で小確幸が流行語になったのは2018年。20年から30年以上も時間が経っています。
村上春樹の小説は、日本で出るとすぐ韓国語に翻訳されますが、エッセイのほうは翻訳されるのが遅かった、ということが考えられます。
韓国で2冊のエッセイ集がいつ刊行されたかを調べてみました。
まず、『ランゲルハンス島の午後』は、1994年3月31日に、ぺガムという出版社から『村上春樹随筆集3 ランゲルハンス島の午後』(他のエッセイ集との抱き合わせ)として刊行されましたが、現在は絶版。
その後、この随筆集は『村上春樹エッセイ傑作選』(全5巻)に再構成されて、2012年7月24日に文学ドンネという出版社から刊行されました。『ランゲルハンス島の午後』は第5巻に収録されています。このシリーズは「正式な契約を結んで刊行された」とのことです。その前に出ていたものは、海賊版だったということでしょうか。
一方、『うずまき猫のみつけかた』のほうは、1999年に文学思想社から『春樹、日常の余白』という書名で刊行され、その後、2001年5月31日に書名を『小さいけれど確実な幸福』に改めて再刊。さらに2015年6月26日に、『こんなに小さいけれど確実な幸福』という書名で新装版が出ました。
書店のウェブサイトで本書からの抜粋が読めますが、これがまさに「小確幸」を説明した部分でした。日本語原文は、次の通り。
生活の中に個人的な「小確幸」(小さいけれども、確かな幸福)を見出すためには、多かれ少なかれ自己規制みたいなものが必要とされる。たとえば我慢して激しく運動した後に飲むきりきりに冷えたビールみたいなもので、「うーん、そうだ、これだ」と一人で目を閉じて思わずつぶやいてしまうような感興、それがなんといっても「小確幸」の醍醐味である。
しかし、韓国語の訳文には「小確幸」という漢字語は使われておらず、原文のカッコ内の「小さいけれども、確かな幸福」の部分だけが訳されていました。そして、この言葉が「書名」としても採用されていたわけです。
話がそれますが、2000年以前の韓国の出版界は、海外著作権の無法地帯でした。
1990年まで、韓国は国際著作権条約(万国著作権条約、ベルヌ条約など)を結んでいなかったため、海外の作品の著作権は保護されず、無許諾で翻訳することができました。海賊版は「不当だが合法」だったのです。
1990年に韓国は国際条約に加入しました。ところが韓国政府は「国内の出版社を保護する」ため、「1990年以前に無許可で翻訳された作品については、今後10年間(2000年まで)、原著者の著作権を保護しない」と一方的に宣言しました。当時の韓国は、著作権の発展途上国だったのですね。
もちろん、1990年以後に新たに翻訳をする場合は、原著者の許諾を得て著作権料を払ったうえで翻訳することが必要となりました。しかし、正式な契約をする出版社は少なく、相変わらず海賊版が横行していました。著作権侵害は親告罪で、訴えるには著者権者が韓国の裁判所に告訴する必要があったため、権利侵害があっても泣き寝入りする著者が多かったからでしょう。
韓国の出版社が海外作品の翻訳にあたって、ちゃんと契約を結び、著作権使用料を払うようになったのは、2000年以後のことです。
上で見た通り、2012年に刊行された『村上春樹エッセイ傑作選』(文学ドンネ刊)が「正式な契約を結んで刊行された」と自慢げに書いているのは、それ以前の翻訳が海賊版だったことを示唆しています。
話を元に戻すと、日本で1986年に刊行された『ランゲルハンス島の午後』の韓国初訳は1994年、日本で1996年刊行の『うずまき猫のみつけかた』の韓国初訳は1999年と推測されます。
現在入手可能なバージョンは、『ランゲル…』が2012年の『傑作選』(セット販売)。『うずまき猫…』が2015年刊の単行本です。
いくつかあるバージョンがそれぞれどれくらい売れたかはわかりません。おそらく2015年刊の『こんなに小さいけれど確実な幸福』(原題:うずまき猫のみつけかた)は、そこそこ売れたのではないでしょうか。
前回の記事で紹介したKBSニュースの記事には次のように書かれていました。
(2017年)7月7日、KBS 2ラジオ「キム・ナンドのトレンドプラス」で、2018年の消費の主な流れとして「小確幸」を提示した。
おそらく韓国の大手広告代理店が2015年頃に、村上春樹の造語「小確幸」に目をつけ、韓国内でさまざまな「小確幸イベント」を企画し、「2018年の消費トレンド」として育てていったのだと思われます。
韓国における「小確幸」とは、一流大学を卒業して財閥に就職したり、家柄のいい相手と結婚したり、江南(カンナム)にアパート(日本で言う高級マンションのこと)を買ったりする「大きな幸せ」の対立概念としての、「ささやかな幸せ」のことです。
一方、村上春樹の「小確幸」は、幸せの大小を問題にしているのではないと思います。
…というのは人生における小さくはあるが確固とした幸せの一つ(略して小確幸)ではないかと思うのだが、これはあるいは僕だけの特殊な考え方かもしれない。(『ランゲルハンス島の午後』新潮文庫版83ページ)
生活の中に個人的な「小確幸」(小さいけれども、確かな幸福)を見出すためには、多かれ少なかれ自己規制みたいなものが必要とされる。(『うずまき猫のみつけかた』126ページ)
「ほかの人はそう思わないかもしれないが、自分だけは確かに感じる幸せ」、「自分ならではの、個人的な幸せ」というニュアンスが強いはずです。
「韓国の小確幸は、村上春樹が造語した小確幸とは似て非なるものである」
というのが、私の「小不確考」(小さくて不確実な考察)の結論です。
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