コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

人権月間 わたしのこだわり

2011-12-06 10:35:38 | PTA

 

人権の話題が出たので、普段思っていることを少し。

 

最近、メールやSNSで仲良くなったPTA仲間の方に、伴侶のことを「連れ合い」と表現したことに感心された。

最近でこそ当たり前にこの言葉を使っているが、そこにはいろんな流れがあった。

 

もともとは世間的に使われているのと同じく「妻」や「家内」という呼称をしていた。

何がきっかけだか忘れたが、それはおかしいんじゃないかと違和感を感じる。

 

「妻」→ 一般的に「女性の配偶者」という意なので、間違った用例ではない。

しかし別の意味で「主となるものに添えるもの」と言う意味がある。

ここに男尊女卑の名残を感じてしまうと使うことに躊躇してしまう。

いつまでも男がメインで女がサブというのは気持ちよくない。

なのでこの言葉は使わないようにしたいと思った。

 

「家内」→ 辞書には「ふつう、他人に対して自分の妻をいうときに用いる」と書いてある。

まぁここでも先に「妻」が大手を振っていることに違和感があるのだが。

しかしよく字を見て欲しい。

女性は家に居るのが当たり前的な発想がプンプンする。

実際、我が家の場合、連れ合いは外に働きに行き、私は自宅を事務所にしている。

つまり「家内」は私のほうなのだ。

建物的な「家」と言うことではなく、「家庭」と言うことにしても、家事は連れ合いの専売特許ではなく、私も食事の用意をしたりする。(家事をやっていると堂々と言うと、「その程度でやってるつもり?」とお叱りを受けるのだが…笑)

 

他にもいろいろ考えてはみた。

 

「女房」→ これは特に差別的な意味合いは内容に思われる。

しかし、「貴族に仕える侍女」と言う意味が実はある。

もちろん、わざわざ辞書を調べないと知らないような意味で、一般的ではない。

が、「あなたは貴族で、私が侍女?」などという攻撃を受ける可能性をわざわざ刺激する必要ない。

ということで、他にあるならわざわざ使うことはないだろう。

 

「相方」→ 私は結構この呼称が好きだ。

知人でこう呼び合ってる夫婦を見ると、ほほえましいし粋だ。

が、普段から漫才夫婦と呼ばれている私らには、洒落にならなかったりする。

また、連れ合いにこれを打診したとき、やんわりと「それはいや」と言われたし…

 

「おかあさん」→ 「あなたのような子を産んだ覚えはありません。」

「ママ」 → 同上

「ワイフ」 → 言う方も言われる方も似合わない

「かみさん」 → 私は仏教徒です

 

ってなわけで、一番しっくり来るのが「連れ合い」だった。

対等なパートナーでありたいし、たまさか人生で連れあった相手だしね。

 

と、私はこだわってこうしたのだが、やはり一般的には「主人-妻」「旦那-女房」などと主従関係のにおいが残った呼称が普通だったりする。

まぁ気にしない人はしないんだろうが、「正しいことを知る」という先日の先生の話を鑑みると、歴史的な男尊女卑の思想があることを知っているのと知らないのとでは違いがある。

 

もちろん、そういう呼び方をしている人を批判・非難するつもりはなく、「私は気になるから使わない」ってだけですが。 

 

で、私はつとめて使わないようにしてるって言葉は他にもある。

 

身体的な特徴を揶揄する言葉が、放送や出版から外されているのは結構ご存知だろう。

他にも、外国のことを蔑視する言葉が自然と使われていたことも問題になっている。

よく驚かれる例が「ばかちょんカメラ」(説明に必要なので記載します、ごめんなさい)

これも立派な差別用語です。

 

同じようなものに「啓蒙」と言うものもある。

以前、ネット仲間でかなり論争になった。

この言葉には「無知な蒙古人に教える」という俗説がある。

ただ、この説の根拠は薄いようなので、人によっては「普通使われているのだから、そこ前言うのは”言葉狩り”だ」と言われる。

しかし、私としては嫌がるひとが居るのなら、あえて使う必要ないじゃんって考え。

「啓発」という、同意でちゃんと使える言葉があるんだから。

 

もうひとつこだわってるのは「子供」

私は「子ども」と表記する。

「供」って言う言葉には「従者」と言う意味もあるし、「この○○供!」って感じで上から下を見下すニュアンスがある。

だからあえて使わない。

 

まぁ、使ってる方を非難・批判するつもりはない。

知らずに使っているならば、知った上で判断してくださればいい。

「別に問題だと思わないよ」ってのもありだ。

 

以前「ちびくろサンボ」も話題になった。

そのビジュアル表現が問題。

童話なんだから良いじゃない。

かわいいし、蔑視はしてないよ。

ここまで規制するのは行きすぎ。

そんな意見もあった。

ただ、このことで悲しい思い、嫌な思いをしている人もいるってことは、無視できることじゃない。

 

そういえば、今度「サイボーグ009」がリメイクされる。

キャラクター表現が大きく変わっている。

 

原作者への冒涜だって声もあるけれど…原作ファンの私としては、そこに流れるスピリッツが受け継がれていれば、表現方法は変わってもいいじゃないって立場。

 

すべての声に反応するのは難しいけれど、マイノリティの声をしっかり聞くのは大事なことだと思う。

もちろん、私自身まだ、気付いていないうちに人を傷つけている表現をしてるかもしれない。
(ぜひ、ご指摘ください)

そして、そこに悲しんでいる人が居るのならば、少しでも悲しみが軽減できる表現を模索することに労力は惜しまない。