生涯学習の部屋

資格取得数241。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

『しまむらとヤオコー 小さな町が生んだ2大小売チェーン』

2017年10月22日 09時32分37秒 | 読書
鶴舞中央図書館で借りた本。

「しまむら」と「ヤオコー」ともに、「埼玉県比企郡小川町」が発祥の地だそうです。特に、「ふたつの会社の、最初の店舗所在地は、小川町の通りを挟んで、500mの範囲の中にあった」(P.8)そうです。

「しまむら」は全国47都道府県に出店しているのでご存知の方も多いでしょうが「ヤオコー」は関東を中心に出店しており、関東以外では知らない人も多いかもしれません。しかし、155店舗中85店舗を埼玉県内で出店しており、食品スーパーにおける埼玉の雄と言っていいでしょう。東京には8店舗しかありませんが、私の住んでいる小平市にもありますし、五日市街道沿いの立川市にもあります。イトーヨーカドーに行くついでに、東大和市のヤオコーにも訪れることがあり、その店舗内の美しさに魅かれます。

私にとって、比企郡といえば「吉見百穴」の吉見町なのですが、小川町も侮れませんね。その昔、埼玉県民をやっていた時もあるのですが、小川町と言えば、東武線の終点のイメージで非常に遠隔地という思いがあります。そんな町から、このような有名企業が2つも出てくるとはすごいと思った次第です。
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図書館の・・・

2017年06月11日 11時22分57秒 | 読書
読書が好きな私。

次男の大学の「キャンパス2017」を読んでいて、今通っているメインキャンパスに、図書館に蔵書が約100万冊あると書かれているのを発見しました。
100万冊って、どのレベルかわかりますか?
日本トップは、やはり東京大学で2012年の段階で約915万冊。ただし、これは学内28の図書館を合計した冊数とのこと。1キャンパスで100万冊は凄い水準と言えます。

トータルで100万冊を超える大学は約70校。明星大学でも約90万冊、放送大学でも約70万冊、武蔵野大学でも約40万冊、産業能率大学で45万冊(湘南24万冊+自由が丘21万冊)とのこと。私の卒業した大学はベスト10に入っているものの、大学時代1000冊読めたかどうか記憶が定かではありません。

各大学の蔵書数を確認していたところ、武蔵野大学のHPに面白いことが書かれていました。

>人はどれくらいくらい本を読めるのか?という問いに応えるのは難しいのですが、河合塾の
>人気国語講師だった牧野剛氏は、中学以来1日1冊読むことを自らに課したとしていますし、
>駿台予備校の英語講師だった表三郎氏がこれまで10万冊読んだという事例を挙げています
>(『人生を変える大人の読書術』)。 身近な例では、本学司書課程の在学生の方が、年に
>300冊読み、今年は400冊を目指していると授業のコメントに書いていました。

正直、10万冊も読んだ方が、その冊数を意識しているとは・・・この方は、真に解脱できていないのかもしれません。本当なら、その域に達した方は、冊数というしがらみから解放されるのがプロであり、玄人であり、達人というレベルだと思っているのですが。

あと、こんな記事も面白いですね。

>さて、冊数にこだわって書いてしまいましたが、本学の蔵書は残念ながら少ないのですが、
>それでも40万冊に届くところですので、さすがに「読み尽すこと」は現実的な目標には
>ならないでしょう。
>ですが、せめて「背文字だけでも読み尽す」つもりで、図書館にお越しください。 かならず
>たくさんの発見があり、稔り多い学生生活につながることと思います。

背文字ですら、40万冊を読み尽くすことは困難ですね。ただし、その読もうとする姿勢は、学生生活において、大きな力となるはずですから。

※大学4年間とすると年間10万冊、学校に行く日を200日とすると1日500冊・・・とてもじゃないけれども、「背文字だけでも読み尽くす」ことは困難でしょうね。
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『ナースがもっと簡単に看護大学卒になれる本』 改訂4版

2017年06月09日 06時49分17秒 | 読書
あちゃー!やってしまった。。。

5月12日付で表題の書籍を著者から直接送っていただいていたにもかかわらず、そのままの状態で手つかず・・・というか、毎回、律儀かつご丁寧に、著書を送ってくださる著者の誠実なスタンスに頭が下がります。本当、ありがとうございます。

帰りの新幹線で読もうと思うので、まだ、精読していないのですが、パラパラめくってみて思うのは、従来の品とはクオリティが格段にアップしているのではないかというところ。文字が多くなった気もするし、構成も良くなっているのではないでしょうか?ただ、過去の書籍を横に並べて比較したわけではないので断言はできませんが、良い出来だと思います。

帰りの新幹線が楽しみですね。
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『あなたの習った日本史はもう古い!』

2017年06月02日 05時36分59秒 | 読書
鶴舞中央図書館で借りた本。

読んでみて驚いた。「仁徳天皇陵」が「仁徳天皇陵でなくなった」ことは知っていた。そう、「大仙陵古墳」である。それなりの大王の墓ではあるが、仁徳天皇とは特定できないわけである。

しかし、源頼朝の肖像画や、足利尊氏の肖像画も「別人」とされ、聖徳太子に至っては、その存在すら疑われ、「厩戸皇子」と書き換えられ、「摂政」をしたことすら削除されてしまっているらしい・・・

うかうかしていると、時代に取り残されてしまいそう。。。

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100冊越え

2016年11月23日 08時18分33秒 | 読書

今年も残すところ40日足らず。

そんな状況において、ようやく読書冊数が100冊を超えました。これから本を返しに行って、ついでに本を借りてくる予定です。

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読書50冊。

2016年08月14日 16時39分09秒 | 読書

毎週の如く、コンスタントに鶴舞中央図書館に行っている。

今日も6冊返却して6冊借りてきた。そういう生活をしているうちに、いつの間にか読み切った本が50冊を超えていた。本を読むことができるようになったのは幸運である。10年間の大学院生活を修了し、極度の「燃え尽き症候群」に落ち込んでしまったのだが、少しずつ、生涯学習に勤しむことができるようになってきた。

日本福祉大学に入学してそろそろ半年。生涯学習に注力しきれていない自分がふがいないのだが、やっと、そろそろ普通に学習できそうである。

 

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諦めは心の養生。

2016年01月09日 07時07分04秒 | 読書
本日、返却する『現代人の仏教』に書かれていた言葉。

p.46に「昔から「諦めは心の養生」ということわざがあるが、人生努力を重ねてみても、あとはいかんともしがたいことが多々あるのである。「諦観」は消極主義や敗北主義ではない。むしろ人生の英知の一つである」と記されています。何と含蓄のある言葉であろう!

鎌田茂雄先生の書かれた本ですが、残念なことに、もう既に先生はご逝去されています。仏教学の権威であられますが、特に、中国仏教については「神」ともいえる存在でしょう。

その昔(もう20年以上も前)、先生のご自宅にもお伺いしたことがあり、ご著書をいただきました。私と言えば、当時から物怖じしない性格だったので、そんな偉い先生とは知らず、ズカズカと先生のお宅に上げていただいたことを思い出します。本当に、膨大な蔵書があって、驚愕したのが昨日のようです。

本当、懐かしい思い出なのですが、鎌田先生のお力もお借りして、なんとか、論文を書き上げることができました。本当に、縁(えにし)はつながっているのですね。正直、私が本学で中国仏教特講を選択し履修したのも、先生のお名前が、参考文献としてシラバスにあったから。その中国仏教で100点満点の評価を得ることができたので、極楽浄土でも、大手を振って先生と再会できることでしょう。

今なら、ちょっとは仏教のお話にもお付き合いできるかもしれませんね、無論、まだまだ素人ですが。
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『仏教発見!』

2015年12月16日 21時12分30秒 | 読書
武蔵野大学の図書館で借りた『仏教発見!』と言う本。

この本のp.222に東大寺の「整肢園」というのがあったので、ふと、懐かしく思った次第である。整肢園は聖武天皇と光明皇后の御心を建学の精神とし「すべての人に等しくすべての人が幸せに」をめざす東大寺の関連施設である。

整肢園には「体の障害だけではなく、重度の知的障害をもつ子どもがいる。言葉を理解しない子どもがいる。目の見えない子どもがいる。」と書かれているのであるが、私が奈良にいたとき、長男も次男も、この整肢園にお世話になったのだった。長男は言葉を話さなかった。次男は歩けなかった。定期的に子ども達を車で整肢園に連れていくのが、休日の私の主要業務の一つ。そのケアしなければいけなかった長男が大学生になり、次男が剣道で入賞するとは・・・当時からすれば、想像できないくらい成長してくれたものである。

宗派は違えど、御仏の慈悲に助けられたといえるのかもしれない。そんなことを、「仏教発見!」という本を読みつつ、発見したのであった。
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お浄土

2015年09月19日 03時31分38秒 | 読書
『じゃあ、仏教の話をしよう。』という本を読んでいて、「おぉ!」と思った文章があった。

p.97にある文章。「食事を摂ることができず日に日に衰弱していく患者さんに対して、その医師は、家族とも話し合って点滴のことをご本人に聞いたそうです。「食事がほとんどできていませんから、体力的にもずいぶんと弱っています。このままお浄土へ行くのと、もう少しこの世にいるのと、どちらにしますか?」と尋ねたところ、患者さんは、はっきりとした口調で「できれば、早くお浄土へ行かせてください。だから点滴はいりません」と言われたそうです」とある。

私も、同じ状況なら、スパゲッティ症候群になりながら、たくさんのチューブから薬を摂りつつ、少しばかりこの世に未練を残すより、お浄土へ行く方を選択したい。

この文章の良さは、「死」というものを「お浄土」とした点にある。人間は、必ず死ぬ。そして、死は怖いものである。なんせ、それがどのようなものか私は知らないし、臨死体験をした人でさえ、本当の死を知り尽くしていないのである。

知らないから怖いだけではない。生きているうちは、なんともないのに、何故か肉体は死んだ瞬間から腐敗し、滅びゆくのか・・・そして、形のあった肉体は火葬場で白骨になってしまうことも知っている。「知らないこと」と「知っていること」が相乗的に恐怖を膨張させるのである。

でも、その恐怖も、私の場合「お浄土」という言葉で打ち消されるのである。私だけでなく、生きとし生ける人々が、必ず死を迎える。早いか遅いかだけのことである。故に、死の恐怖を恐れる暇があるなら、お浄土に行くまでの間に、精一杯、与えられた人生を頑張る方がいいのではないだろうか?

急がなくても、勝手にお浄土は近づいてい来る。ただ、それを待てばいいだけなのだから。
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レポート/論文はこう書く!

2015年08月15日 09時22分45秒 | 読書
今日は朝から部屋の整理。

山のように積みあがった本。本の重みで板が抜けたカラーボックス。図書館以上に充実した生涯学習関連の数百冊の書籍。それ以外にも、最近、増殖しつつある仏教関連の本で身動きが取れない。

その本の仕分けをしていたところ、表題の本が見つかった。最初のページに「こんな論文は学術論文ではありません」と見出しが躍る。で、「次のような論文を書いてはいけません」との厳しいお言葉が!

①たまたま見つけた1冊の本や、1本の論文だけを要約したものは学術論文ではありません
②他人の説を検討することなく、たんに紹介したものは学術論文ではなりません
③引用文を並べただけでは学術論文ではありません
④単なる思いつきや私的な感想だけでは学術論文ではありません
⑤他人の業績を無断で使ったものは剽窃であって、学術論文ではありません

まさしく、その通りである。で、思ったのが⑤に関して、例のオリンピックエンブレムの件。エンブレムはオリジナルと否定しているが、サントリーの佐野氏デザインのトートバックは、誰が見てもパクリとしか思えない。これこそ、「他人の業績を無断で使ったものは剽窃であって」、しかるべき成果物とは見なされないのである。

これが、博士論文や修士論文なら学位取消にも匹敵するものといえる。当然のことながら、論文の剽窃は、研究者として失格の烙印を押され、学会から追放される。

新国立競技場といい、本当、東京オリンピックって受難続きだな・・・
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