私の手元には卒業研究が2つある。ともにある意味、極限状態で自分を追い込んで作った「作品」である。この極限状態は経験者でないと語れない。
①「国債-日本における歴史と諸問題について-」
②「ビジネス・キャリア制度の活用と課題-ホワイトカラーの人事流動化-」
いずれも、苦しい思い出が先にでる。「国債」は私の就職進路に大きな影響を与える作品であり、食事をしながら書き綴った記憶がある。「ビジネス・キャリア制度の活用と課題」も、乏しい資料の中、あるべき姿とは何かを思い綴った作品である。
ただ、大きく違うのは「国債」は自分のために、「ビジネス・キャリア制度の活用と課題」は人のために、そう思って書いたことであろうか?前者は自分の就職の正しさを証明するための歴史的背景を書いたものであるのに対して、後者は現在のビジネス・キャリア制度の総まとめのような存在である。いわば、現状、ビジネス・キャリア制度を認識するたの最高のテキストともいえる作品であり、ここまで、まとめた書籍は存在しないと断言できる。
その意味でも、産能での卒業研究の方が、エネルギーを費やしたともいえる。ただ、この2つの卒業研究はともに私の宝物である。
①「国債-日本における歴史と諸問題について-」
②「ビジネス・キャリア制度の活用と課題-ホワイトカラーの人事流動化-」
いずれも、苦しい思い出が先にでる。「国債」は私の就職進路に大きな影響を与える作品であり、食事をしながら書き綴った記憶がある。「ビジネス・キャリア制度の活用と課題」も、乏しい資料の中、あるべき姿とは何かを思い綴った作品である。
ただ、大きく違うのは「国債」は自分のために、「ビジネス・キャリア制度の活用と課題」は人のために、そう思って書いたことであろうか?前者は自分の就職の正しさを証明するための歴史的背景を書いたものであるのに対して、後者は現在のビジネス・キャリア制度の総まとめのような存在である。いわば、現状、ビジネス・キャリア制度を認識するたの最高のテキストともいえる作品であり、ここまで、まとめた書籍は存在しないと断言できる。
その意味でも、産能での卒業研究の方が、エネルギーを費やしたともいえる。ただ、この2つの卒業研究はともに私の宝物である。