図書館で借りた本の一冊が、黒木登志夫著『研究不正』(中公新書)というもので、科学者の捏造、改竄、登用について書かれている。
基本、ほとんどの研究者は不正をしないはずなのだが、本に書かれたのは研究不正のオンパレード!
ショックだったのが、2000年に発覚した「旧石器発掘ねつ造」について。記憶にあるか・・・どうでしょう?例の、ゴッドハンドといわれたSF(何故か、この本はイニシャルで書かれている)が自分で石器を埋めた事件。で、事件発覚後、この本のpp.60-61には「入院中、彼は右手の指二本を、「神の手」と賞賛されたその指を、自らなたで切り落とした」そうだ・・・調べてみると、WIKIにも記載されている。本当、猟奇的な結末を迎えていたんだな。。。そういえば、STAP細胞の際も自殺者がいたし。
不正恐るべし・・・と思うのだが、p.218の論文の撤回率(2004~2014年)の上位5か国は、1位:インド、2位:イラン、3位:韓国、4位:中国、そして5位が日本となっている。本当、日本もある意味不正天国?
p.243にあるように、「不正研究をしても、何もよいことはない」のだ。というか、なぜ、不正研究をせねばならないのか?まあ、私の場合、修士レベルの「趣味」(個人的知的欲求の達成)程度の研究だから、こんな素朴な疑問を感じるに過ぎない。これが、業績の範疇や、博士レベルの高度な「仕事」としての研究なら、実績を積み上げるために、魔が差して、捏造、改竄、盗用に手を染めてしまうこともあるのやもしれぬ。
そう、必要以上に成果を求められることが引き金となって、不正が行われてしまうのではと思っている。成果がなければ仕事をもらうこともできないし、研究者にもなれないし、クビになってしまうかもしれないし・・・そういう不安が、不正に手を染める背景にあるのではないか?
その昔、何度か、先生に、大学で働かないかと打診を受けたことがあった。でも、断ったのだが、その理由が、今の自由な立場ではなく、仕事として研究を強制されたら、きっと、学問を嫌いになってしまうかもしれないと思ったから。
好きなことを仕事にできれば最高!っていう人もいるが、逆に、好きなことを失いかねないわけである。旅好きが旅行業界に就職して、観光客の我儘に疲弊し、旅行が嫌いになるのと一緒。あるいは子どもが好きだからといって、学校の先生になって、モンスターペアレントに虐められ、子どもが嫌いになるのと同じ。そういうリスクもあるわけで。
そう考えると、特殊な事情で大学院に行く人は不幸なのかもしれない。アカデミックな学問としてではなく、職場のプロとして事例に精通しているだけでいいのに、ムリして、大学院に行って、先生のバッシングでメンタル不全になったり、文章が書けないと泣いてまで研究しなければならない人は不幸かもしれない。そこまでひどい状況なら、私は大学院をやめることができる。なんせ、「趣味」(個人的知的欲求の達成)レベルの研究だから。そうやって追い詰められると、結局、正しい判断ができなくなって、捏造、改竄、盗用してしまうんだろうな。。。