かつての日本では、「人の命は地球より重い」と言われていた。
国際社会から非難されようと、テロリストに人質が取られると、人質救出にテロリストとの取引に応じ、その取引が後々更に多くの人命を奪うことになったとしても、「人質の命を救うために仕方なかった」と納得し、あまつさえ美談になることもあった。
しかし、今の時代は違うようだ。日本国内だけで、コロナで1万人以上が死んでいる。それでも、政府は抜本的対策を打とうとしない。
政府だけではない。日本人もそうだ。経済活動の基本は財貨の交換。交換が生じれば、そこにコロナウイルスが介在することがわかっていても、経済活動をやめようとしない。それどころか「コロナ禍の自粛疲れで参ってしまう」と勝手な論法で、友人と遊び、グループでレジャーに繰り出し、挙句、コロナに感染して、満足に休むことすらできていない医療従事者を追い詰める。
結局、国民全員でコロナで1万人殺した片棒を担いでいる・・・そう、かつて「人の命は地球より重い」と言ってきた日本人が、、、である。
どこぞの国で、「マスクの着用強制は人権侵害だ!」と暴動が起こっていたのを、我々日本人は「愚かな国もあるものだ・・・」とつぶやいたものだ。でも、コロナが沈静化した国では、今、日本において「これ以上自粛要請には応じられない」とか、「法令違反で罰金や過料を払っても営業を続ける」とか、緊急事態宣言を出しているのに「昨年比何倍、何十倍の人流」っていう報道を見て「愚かな国もあるものだ・・・」と言われているのだろう・・・やっているサイドの日本人は気が付かないだけ。
そもそも、どんな悪法であったとしても法は法。にもかかわらず、メディアの前で堂々と「営業は続ける!」って宣言するのは、「わが社は殺人幇助をする!」とか「当店は傷害事件を起こす!」って言っているのとなんら変わらない。だって、コロナで死んでる人もいるし、あるいはコロナで重症になっている人もいるし。そもそも、それを防ぐための法律なのだから、「悪法も法なり」と法に従って毒杯を仰いだソクラテスが知ったら鼻で笑われるだろう。
「バイトや仕入れ先を救うために、やむなく営業を続ける」って言うのも、正論のように聞こえてしまうが、なんだか、「自社は悪くない。バイトや仕入れ先が自殺しないよう、コロナでの死者や重症者は無視して営業を続ける」って聞こえてしまい、すごく不愉快な気持ちになる。
基本的に、私は殺人犯が「生活が苦しくて殺人を犯してしまいました」と言って情状酌量になることが理解できないタイプの人間。「生活が苦しければ、無関係の他者の幸せを踏み躙っても量刑が軽くなるっておかしいだろ!」って思ってしまう。コロナも同じ。自分さえなんとかなるなら、自分たちが選んだ政治家が制定した法律さえ違反してもいいとか、違法営業でコロナ感染者が出ても仕方がないとか、医療従事者が休みを取れなくても関係ないとか、全く理解できない。ましてや、バイトや仕入れ業者を人質にして、己の正当性を主張するなんて・・・そんな営業をしているお店は、消費者サイドでボイコットするのが当然と思うのだが。
とはいえ、私も単身赴任での四六時中ステイホームは本当に苦しいわけで。前から言っているように、コロナ感染の多くは人と人とが接触することで発生する。ゆえに、「2人以上のグループ行動禁止。単独行動ならどこでも、何時でもOK」にしてくれればありがたい。本当、名古屋での緊急事態宣言後、全く酒は飲んでいない。でも、一人ならOKって言ってくれれば、また飲みにも行ける。岐阜県多治見市にも県を跨ぐので行けていないお店もある。微々たるものだが、経済にも貢献できる。クラスターも防げる。
何でもかんでも規制するなら、海外のロックダウンと一緒。それはそれでコロナ防止の効果はある。でも、経済活動を停止させないなら「お札にウイルス」とか「宅急便の箱にウイルス」とか言っていないで、コロナ感染を防ぐ方法を考えて欲しい。というか、どうして通勤なら満員電車でも岐阜県、三重県から県を跨いで来れるのに、休日の空いてる電車で単独行動でも岐阜県や三重県に県を跨ぐのが「極力控えて」になるのか・・・まあ、コロナの自粛のお願いは、全く整合性のない文章の羅列なので仕方ないが、そんなことをやっているから、「自粛は禁止ではない」とか言われるんだろうな。。。