大きな被害をもたらした東日本大震災から11年・・・
とはいえ、その約半分の5年8ヶ月を名古屋への単身赴任のうちに過ごしたので、本当、あっという間に11年が過ぎたと感じてしまいます。
名古屋から戻ってきて迎える3月11日は、やはり、当時、夜の暗くて、寒い道を20キロ歩いて、武蔵関まで到達し、復旧した西武線に乗って、最寄駅の一橋学園についたことを思い出します。這う這うの体で自宅に戻ってきた、まさにあの日から11年。その後は、スーパーの棚が空っぽになったり、計画停電があったりと、いつもとは違った日常に振り回されたことも。でも、その程度のことは、本当に、東日本大震災を体験した方々からすれば、苦労でも何でもありません・・・・
普通に生きていくことの難しさを改めて認識させられる自然災害。何も悪いことをしているわけでもないのに、無差別に自然は我々人間に牙をむきます。日頃善行を積んでた人でも命を失ってしまう、何と無情で無慈悲で無差別なのか。神も、仏もありはしない・・・そんなジレンマに苛まれます。
しかし、我々、世界を支配するがごとく、文明を築き、発展を遂げた人類でさえ、自然の猛威にはひとたまりもないのです。それを再認識し、生き残った我々は、犠牲になった方々を悼み、そして、いずれは我々も自然へと帰っていくことを認識すべきなのでしょう。なんせ、明日、東京に地震が起こらないという保証もなければ、津波が襲ってこないという約束もないのですから。加えて、我々はいずれ近いうちに死にます。それこそ、地球の誕生から今までを1日で換算した場合、1秒にも満たない時間軸で一生を終えます。人間の人生なんてその程度のもの。
だからこそ、残された人は、故人を悼みつつも、残された極々短い人生を生き続けなければなりません。それが生き残った私たちの責務です。忘れることなく、覚え続けること、そして短い時間ながら、残された者としての責を果たす。毎年、そんなことを思う3月11日。