本棚にある書籍を整理しようと、今一度、本を読み直していたところ、『生涯学習と人間の発達』という本の中に、懐かしい一文を見つけた。
それが、昭和56年(1981年)の中央教育審議会の答申にある、生涯学習にかかる文章。
我が国には、個人が人生の比較的早い時期に得た学歴を社会がややもすれば過大に評価する、いわゆる学歴偏重の社会的風潮があり、そのため過度の受験競争をもたらすなど、教育はもとより社会の諸分野に種々のひずみを生じている。今後、このような傾向を改め、広く社会全体が生涯教育の考え方に立って、人々の生涯を通ずる自己向上の努力を尊び、それを正当に評価する、いわゆる学習社会の方向を目指すことが望まれる。
この答申から既に40年。 どうだろう、人生の比較的早い時期に得た学歴は過大評価される風潮は健在だろうか?それとも、本格的な実力主義社会にシフトしただろうか?また、生涯学習社会は到来しているのだろうか?
ついこの前、学歴フィルターの有無が騒がれていたが、私は学歴≒教育資格と思っているので、それ自体が指弾されることについては疑義を感じている。努力した結果取得した教育資格は、資格の一種として尊重されるべきである。
一方、若い社会人はそれなりに離職している。実力不足でついていけない者もいれば、逆に、自分の実力を信じての転職や起業を行う者もいる。また、企業において、最終学歴が定年まで「水戸黄門の印籠」のように効果を持つところも少なくなってきている気がする。それだけ、能力社会が徹底されてきたのかもしれない。IT企業といった、40年前にはほとんど存在していなかった企業の成長が、学歴に胡坐をかいているだけの無能力者を淘汰していったからだろうか?
そんな社会においても、やはり、私は生涯学習というものは必要であり、それなくしては、超高速に変化し続けている現代社会についていけないと確信している。それが正しいのか、間違っているのかは、未来が答えを出してくれるはずだから。