生涯学習の部屋

資格取得数241。6つの修士と19の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

先生への祝辞で!

2022年03月13日 15時56分45秒 | 産業能率大学大学院
先生の最終講義が終了~!

先生への祝辞を述べた方が3名おられたのですが、なんと、その中に、私が産能大学大学院への入学を決断したに至る先輩がおられました!

まあ、お久しぶり~♪

そもそも、この先輩がおられなければ、私は明星大学大学院か放送大学大学院に出願するきっかけとなった方。今では60歳台になったそうですが、この産能大学院をきっかけに(いや、産能通教をきっかけかな?)人生をポジティブに切り拓かれていった方です。

で、最後に先生が、なぜ、ずっ~と産能を辞めずに定年までお勤めになったかとの話がありました。「大学院があったし、内発的動機付けによるものかな~」とのこと。そう、日々連日のようにゼミ生やら学生から質問や相談があっても、それがたとえ、正月であったとしても、全然苦しくなかった、むしろ楽しかったとのこと。なるほどね、、、私とは大違い(笑)。この年になると、長時間の通勤は苦しいし、やってる仕事も、昔のように銀行全体の業務を左右するものではなくなったし。特に、専門性が活かされていないような・・・まあ、言うほど専門性があるわけでもないのですが。

最終講義が終わったので、あとは先生との飲み会などに参加できればいいのですが、都心は遠いし、すぐ疲れるし、出不精だし、大多数の修了生は知らない人ばかりだし。でも、先生が健康でないことには、まったくもって始まらないので、これからの先生のご健康を祈ってやみません。本当に、お疲れさまでした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大学院の歴史

2022年03月13日 14時37分59秒 | 産業能率大学大学院
先生がスライドで産能大学院の歴史を語られました。

・1992年 経営情報学研究科として伊勢原に開設
確か入学定員は20名で15名が1期生。学部から直接進学者は1名だった

・1996年 自由が丘(6号館)に移転 
大量定員(入学定員50名)大学院を目指す「修士論文コース」「課題研究コース」「実践研究コース」の3コースで定員50名。伊勢原入学で自由が丘修了の方もいたとのこと。多い時には70名以上入学者がいた。

・2004年 代官山にMBAコース開設
1期生37名、2期生34名、3期生20名、その後20名ぐらいだったが、一時、入学者17名まで落ち込み、、、

・2014年 税務マネジメントコース開設

・2016年 経営管理コース:修士論文開始。各コース47名で合計なんと94名の入学生になった!

・2017年 入学定員100名に!でも100名に満たず・・・

・2018年 会計マネジメントコース開設。結果、入学者100名を実現

私は2008年3月に修了してしまいましたので、その後の本学失速と復活については詳しく認知しておりません。しかし、修了後、どんどん減少していく合格者を憂い、知らぬ間に100名を超えていた入学者に一喜一憂した記憶があります。

私は代官山2期生(だっけ)?ということですので、やはり古株ということとなります。しかも後輩は経営管理コース、税務マネジメントコース、会計マネジメントコースと3つにも増えたので更に増加!優秀な多くの後輩たちが、産能大学院を発展させてくれることを信じてやみません。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最終講義開始!

2022年03月13日 14時05分36秒 | 産業能率大学大学院
14時から産業能率大学大学院のゼミの指導教官の最終講義がスタートしました。

久ぶりにご尊顔を拝するわけですが、やはり長い年月の経過は先生のお姿を少なからず変貌させてしまいます。以前から髪はグレーでしたが、今は、もう白髪。しかもお髭まで生やされており、昔とは変わってしまったな~ということです。しかし、お声は昔のまま。「あぁ、先生だ!」って分かるもの。

参加者は120名。知っている人もいれば、知らない人もおり・・・無論、知らない人の方が多いな、、、

途中、休憩はありますが、最終講義は16時まで。私が人的資源管理(HRM)を学ぶきっかけとなった「原点」とも言える産能MBAの指導教官。最後の講義に参加することができて幸せです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする