白石克己先生が編者となっている『生涯学習を拓く』という本を読んでいたところ、「人生のパラドックス」という一節にいきつきました。
「たしかにすべての人間はいずれ死ぬ。その意味で私たちの人生は生まれ出るときに、毒入りのケーキを100個ほど贈られ、毎年、1個ずつ食べていくような過程である。運がよければ百歳まで生きることはできる。しかし、毎日、少しずつ毒入りケーキを食べ続けていることには変わりがない。この意味で、人間は死ぬために生きるというパラドックスをかかえている」とのこと。なるほど、毒入りケーキとは、さすが白石先生としか言いようがありません。
私も、常々、人間はよりよく死ぬために、必死にもがいていると言い続けています。そう、いかに死ぬかが、人としての価値を表します。白石先生も「だからこそ、私たち人間はこの不変の真理を前に、この命を精一杯生きることを目指している」と書かれています。
どうせ死ぬのだからと、享楽的、廃頽的に生きる人もいるかもしれません。所詮短い人の命、なら、おもしろ、おかしく、好きなように、勝手気ままに生きていけばいいじゃないかという考え方。それぞれの人の人生だから、それはそれ、尊重しなければいけないでしょう。
とはいえ、「本当にそれでいいのか?」とついつい思ってしまいます。本音ベースで、あなたの人生は、それでいいのですね?と聞いてしまいそう。人生を紡ぐのは自分自身。毎日、ゲーム、ギャンブル、それこそ「飲む・打つ・買う」 って感じで、人生を浪費することが、よりよく生きて、よりよく死んでいくことなのか・・・と疑念を持ってしまいます。
まあ、そう思うのは私だけかもしれないし。人生は自己責任。日々毒入りケーキを食べているからと言って、人生まで毒々しくなってしまうのは、私には耐えられない・・・だからこそ、自分自身で納得できる生き方を見出していかねばと思っています。