昨日、報道ステーションを見ていたところ、ウクライナで流行っている歌が流れた。
バイラクタルの曲は、中国の国歌である「
義勇軍行進曲」と比べても、それほど勇猛果敢って感じはしない。しかし、聴けば聴くほど、なんといえばいいのか、「ウクライナ頑張れ!」って涙がでてくる。
バイラクタルは無人のドローン。てっきり、敵機に突撃して自爆するのかと思っていたが、爆撃等を行うようだ。
バイラクタルは1機600万円ほどらしく、戦闘機とは比較にならないほど廉価。とはいえ、トルコ製の
バイラクタルが何十機も調達できているわけではないようだが。
隣国ロシアが我が国日本に攻めてきたら「戦うしかない」と思っているが、モビルスーツを操縦することもできなければ、暗器を使いこなせるわけでもない。資格的に毒物と火薬は取り扱えるが、実戦は不得手である。なら、一念発起、退職後はドローンの操縦を学び、不測の事態には戦力になれるようにしておくべきなのか。
「戦争はいや、人殺し反対」と言うのは易しい。ただ、ウクライナの惨状を見てもなお、同じ言葉を言えるかどうか。今まで、「戦争は交渉で回避できる」と叫んでいた人は、国際社会がここまで反対してもロシアの侵略が留まることを知らない現実に、どのように言い訳をするつもりなのだろう。
確かに、我々平和を愛する日本国民は、過去の戦争を悔い、二度と他国への侵略は行ってはならない。しかし、ウクライナのように侵略された場合は、「正当防衛」と同じ考え方で、自分の命、家族の命、仲間の命を守らなければならないだろう。
特に、我々真宗門徒は、過去「一向一揆」というもので極悪非道の領主と対峙したこともあるし、そもそも親鸞聖人も歎異抄では「わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし 」と言ったとされる。
「私のこころが優しく善良であるから、殺さないのではない。また殺すまいと思っていても、百人はおろか、千人を殺してしまうこともあるのだ 」という意味で、善良だから人を殺さないわけでなく、ただ人を殺すという宿業を背負っているかいないかだけということだ。善人だから抵抗せず降伏するというのは、偽善であり、詭弁である。
話変わって・・・もし、ドラキュラやゾンビ、悪魔の類が日本に攻め込んできたら抵抗せず、取って食われるだろうか?我が国の全叡智や戦力を投下して、迎撃するだろう。そして、今、ウクライナは人の皮をかぶった悪魔に国土を焼かれ、幼子まで無慈悲に命を奪われている・・・
でも、民主国家に生きていく場合、もし、過半数の国民が「ドラキュラ、ゾンビの家畜になっても仕方ない」って投票したら、私もいずれ食い殺されるとわかっていても、その判断に従わねばならぬのだろうか・・・なんだか、民主主義って怖ろしい。。。