まる18年、そして今日から19年目に突入した拙ブログ。
前回、「つまらぬ記事を・・・」と、過去の記事についての思いの丈を綴ったのですが、さて、そのつまらぬ記事を読んだ方で、間もなく締め切りを迎える放送大学大学院を受験してみようと思った方がいるのか、いないのか?
閲覧頂いている記事には、少なからず放送大学大学院のカテゴリーの記事が含まれているので、ちょっとは気になる方にご覧いただいているのでしょう。その中で、出願される方がいたなら、これに勝るよろこびはございません。
常々書いているのですが、このブログは私の人生の備忘録であると同時に、比較的忙しいと言われている銀行員が、どれだけ生涯学習に取り組めるかを記録したもの。過労死寸前のブラック企業や、寝る時間もないほど忙しい方はともかく、多くの社会人なら普通に捻出できる時間での学びで、資格や学位がどれだけ取得できるかの一例(先行事例)を綴っているにすぎません。
東大や京大ならともかく、地方の大学を補欠で入学し、可山優三で卒業し、取り立てて優秀でもないサラリーマンがどこまでできるか?産能院の時は会社の推薦状をもらえず、明星院の時は教員・看護師の中にポツンと銀行員がいるという状況。武蔵野院ではあと1日レポート提出が遅れれば留年と言う厳しい状況でも折れず、放送院では先行研究の意味も分からず先生にとっちめられ・・・まあ、恥ずかしくも、場違いな学びを続けてきたわけで。無知というか、世間知らずってのが、どれだけ恥ずかしいかも理解しないまま、今となっては、よく挑戦し続けてきたと思います。
そもそも、社会人大学院生を募集しているのは大学サイド。何でも知っている学者志願者のみ出願して欲しいなら、社会人なんて募集するなよ!ってくらい割り切った方が精神的に安全です。ましてや、書類選考があるのだから、歯牙にもかからぬ学生は、その段階で落として欲しい。そこで落とさず、面接まで通したのなら、厚顔無恥であろうと、志願者の思いは聞くだけ聞いて欲しい。
そう考えると、学びたい人はとりあえず出願するってのもありだと思います。自分のイラショナルビリーフの下、勝手な思いでその場にとどまるより、破れかぶれでも、やけくそでも構わないから、とりあえずアクションを起こす。それから先は、合格したのちに考えるという方が、モヤモヤせずに良いのでは。
私の場合、意外と執念深くて、貪欲だから、大学院一本でいいところを、機構の学位を取得したり、資格試験に挑戦したり、挙句、大学院・大学・短大と同じタイミングで学位を取得したりと、手を広げてしまいます。それでも、修士は取れるわけです。
無論、凄い修士論文を書きたい人は別。そこその成果物ってのが限界なのですが。というか、そんなに凄い論文が書きたければ、とっとと修士の学位を取得して博士を目指すべき。博士課程で完璧な論文を仕上げるのが、凄い論文の終着点。
長々と書いたと思ったら、もうそろそろ1,500字。やはりこの出願のタイミング、例年同様、少々荒い内容の記事を書いて挑発してしまいます、、、こんな、クソオヤジでも何度もできてるんだから、目の前に立ちはだかる障壁は、めちゃ高いように見えて、目を凝らしてみると、意外にもちょっと跨げば越えれる程度の低さなのですよ。