風邪気味であるのは事実。
いや、まさか花粉症?確かに目は痒いし、時にクシャミ・鼻水も出るし。でも、体のだるさや、喉が痛いのは風邪の症状。
結果、やる気が出ないと思っているのですが、ふと気になったのが大学院修了後に発生する「燃え尽き症候群」の症状。よくよく考えると、過去、大学院を修了すると決まって「何もしたくない」というおぞましい症状が出ていました。
今回は、あまり大学院生っぽい「死に物狂い」の論文作成や、資料集め、実地調査などを行った気がしておらず、勝手に修了していたので、まさか燃え尽き状態になっているとは想像だにしておりませんでした。
しかしながら、こうも「学習したくない」「本を読みたくない」「残り少ない人生を学習以外で謳歌したい」と思っているのは、過去の燃え尽き事象と符合します。いや~知らぬ間に燃えカスになっていたとは、、、
厄介なこの症状。過去の経験則からすれば、何もできない状態を抜け出すための糸口をつくらなければなりません。簡単な本を読むとか、何か書くとか。過去の資料の整理でも構わないから、何か前向きなことをやっていかないと、いつまで経ってもダラダラと時間を浪費=「人生の部分的な自殺行為」を継続してしまいます。
55歳男性の平均余命は30年弱。1日1日死んでいくので、何もせず1日を過ごすと1日分自分で死を選んだことになります。それが30年弱続けば何もせず人生を終えることとなります。まあ、こんな考え方をするのは私ぐらいかもしれませんが。
人生せわしなく、密度濃く、分刻みで生きることが正解とは思いませんが、かといって、何もせず、ただ朽ちていくだけというのも正解とは思えず。
母校、放送大学の学歌の歌詞に「生きるとはまなぶこと まなぶのはたのしみ」や「生きるとは知ること 知ることはよろこび」というのものがあります。大学の歌なので、それなりに信憑性があるでしょうし、私もその通りだと思っています。人間として生きている以上、学ぶことが義務付けられてしまいます。そして、よろこびとされる知ることさえも、それは人類が人類であり続けることの義務なのです。
このブログで何度も繰り返し述べていますが、人類が「学び」あるいは「知ること」を放棄すると、その時点で文明は途絶え、文化や技術も伝承されず、新たな革新も起こらず、100年ちょっとで人類は猿に戻ってしまうのですから・・・
そう考えると、人間って自由なようで、全然自由じゃありませんね・・・でも、今、通勤で電車に乗っていますが、この電車という利器も先達の発見や発明集合体。飢えなく美味しい食事ができるのも、滅多なことでは他人から襲撃を受けないのも、文化や文明が発展した恩恵。恩恵に守られている以上、学び続けることは人類の責務。現世を生きる人々が、後世に伝えていかざるを得ないわけで。