倶知安峠に挑む上りD51客レ
昨夜は、倶知安駅で夜の103レをバルブ撮影後、駅から歩いて10分程度のニセコユースホステルに宿泊した。
このYHは倶知安の定宿で昭和43年4月から47年3月まで延べ16泊したことになる。(会員証のハンコの数を数えてその数の多さにビックリ)
それだけC62のニセコを追いかけた数が多かったことを表していますが、その写真の出来映え(成果)は、天候が吹雪で視界不良であったり
煙が流れて機関車がうまく撮れなかったり、帰ってきてフイルム現像に失敗したりで、雪晴れでC62重連が決まった写真となるとは少ない限りです。
今朝は、小沢ー倶知安の急勾配区間である倶知安峠に出かけてC62重連104レ撮影のために駅前からバスに乗車して小沢峠下で下車する。
バスの中で黒いカメラバッグに三脚を持って乗車していると、乗客のおじいさんから結婚式の写真を撮りに行くのかと結婚式のカメラマンに
間違えられたエピソードがあります。
バス停は函館本線をオーバークロスする付近に停まるので,撮影地はバス停の前後に数カ所のポイントがあるが、日を変えて色々なポイントへ
向かう。今朝はSカーブのポイントへ向かい足下の雪を踏み固めて三脚をセットする。時折吹雪きとなり視界が不良になる中を、9600が
貨物を引いてやって来たり、ラッセル車が登ってくる。やがて真打ちの出番C62重連の登場です。
ラッセル車がD51に牽引されて登ってくる 9600貨物が下る(雪の壁にご注目ーーー高い)
小沢駅を発車した上り急行ニセコ1号104レはかすかに汽笛の音が吹雪の中で聞こえる中で独特の緊張感が漂う中で、再度カメラなどの点検をする。
その頃のカメラは、今のカメラと違って全て手動でセットしなければならない。フイルムの巻き上げは大丈夫か? シャタースピード、絞りは適正か?など
気象条件がころころ変わる中でその時々に適正露出にしなければならない
やがて、吹雪の中を独特のジエットの爆音にブラスト音が大空の空間からこだまして聞こえてくる、やがて白黒の豪快な二条の噴煙はC62の短い煙突から
溢れんばかりに排出してやってくる。
吹雪も納まりC62重連が長い客車を従えてSカーブを曲がってくるーーーやがてカメラの前を真っ黒い鉄塊がまるで人間の鼓動を打つように駆け抜ける!
客車が「ゴトン、ゴトン」と言う走行音は雪に吸収されながら通過する走行するーーー汽笛が鳴り、サミットのトンネルに入ったのか再び雪の静けさに戻る!
倶知安峠越えに挑むC62重連急行二セコ1号 104レ
以下 次に続く!
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