クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

三宅花圃・旧居跡~番町散歩・11

2015-09-02 | クリン江戸散歩

 番町で、もっとも・人が多い、二番町

ここには昔、

 うちのチット気になって仕方ない・女流作家が 住んでいました

みやけかほ(かんじ:三宅花圃)っていう人です。

 れい(例)によって、旧居は あとかたもありませんが、

ベルギー大使かん(館)や

 表千家・東京道場 あたりの番地名と いっち(一致)しているから、

        たぶん・この辺 


 かほ(三宅花圃)は、明治中期のトップジャーナリスト・三宅せつれい(雪嶺)

つま(妻)になった女性

 おうべい(欧米)化一辺倒とう(倒)だった・日本に 

ダメ出しし

「日本の素晴らしい点に、もっと目を向けよう

と言った、

ジャーナリストのつま(妻)でした

 その立場に ふさわしく、

かほは、

番町生まれの 令じょう(嬢)で、

当時、おじょう(嬢)さまのサロンだった

「歌塾・萩の舎」の

ひっとう(筆頭)門下生

 歌にも書にも秀でた、「和文化の体現者」でした

ところが、

その一方で、

この、かほという女性は

洋そう(装)して ぶとう(舞踏)会に出かける

モダンガールな 一面もあり、

 果ては、小説をかいて、「文壇デビュー」も成しとげる、

新時代のエースでした

この、

いしょく(異色)のけいれき(経歴)をもつ

かほをつま(妻)にしたことで、

 三宅せつれい(雪嶺)の思想も、

たんなる・「日本万歳主義」とは

いっせん(一線)をかくす、

練れた思想に 

仕上げられていったのではないか

うちのチットは 見ています。

・・・・・・

和をふかく 

あい(愛)しながら、

世界と わたりあえる日本人になろうとした

このふうふ(夫婦)に、

ひとかたならぬ・きょうみ(興味)をいだく

うちのチット。。

 加えて、このかほが、「新進気鋭のジャーナリストの妻」だっただけでなく、

文学史上、

とても 大きな・こうせき(功績)を

のこしたことにも

強いきょうみ(興味)を いだいています

 それは、かほ自身が、「近代女流作家のさきがけ」

とよばれることでは

ありません

かほが、

 あの、ひぐちいちよう(かんじ:樋口一葉)

小説家として

世に 送りだした人である

という点に おいてです。

 娘時代、「歌塾・萩の舎」で、いちようと、同門だった・かほ

彼女ほど、

いちように えいきょう(影響)を与えた姉弟子は

いませんでした

家柄はちがいましたが、

二人はけっこう・行き来があって、

「樋口一葉日記」などを

よんでいると、

かほの名前が けっこう出てきます

 いちように したわれ、のち、きらわれた・三宅かほ

そのちょっとした・しんせつ(親切)が、

いちようを助け

そのちょっとした・いじわるが、

いちようのハングリーせいしん(精神)

育て、

その「華々しい・小説家デビュー」が、

いちようにも

小説を書く気を おこさせました

 死後のひょうか(評価)は くらべものになりませんが、

当時は、

「樋口一葉」よりも注目され、

「樋口一葉」に

もっとも・いしき(意識)された

同性の かがやける・女

 それが、「三宅花圃」だったのです

(つづく)












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