東京メトロ・「本郷三丁目駅」
の こう(構)内で、
石垣りんの し(詩)を
見つけた
しん(親)友・チットが、
「私、あれよりもっと・おすすめの、
『石垣りん』の詩、知ってるよ」
と
いって、
「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」
っていうし(詩)
を
おしえてくれました
「女の生き方」について、よんだし(詩)です・・
「専業主婦」に あこがれる・チット
が
気に入っている・し(詩)なので、
もしかしたら
現代の 考え方に
合わない部分も あるかもしれません
でも クリンも、良いし(詩)だな
と 思ったので、
ここに、
書きつけて おきます。
ほっかいどう(北海道)出身の おばあちゃんや、
お母さんのことを
思い出す・し(詩)でもあるので、
ここは
北海道から 送られてきた、秋のグルメ(海産物)の
画ぞう(像)
とともに、
お送りいたします
<石垣りん「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」>
それはながい間
私たち女のまえに いつも置かれてあったもの
自分の力にかなう
ほどよい大きさの鍋や
お米がぷつぷつふくらんで
光り出すに都合のいい釜や
劫初(ごうしょ)からうけつがれた
火のほてりの前には
母や、祖母や、またその母たちが いつも居た
その人たちは
どれほどの愛や誠実の分量を
これらの器物にそそぎ入れたことだろう
ある時は
それが赤いにんじんだったり
くろい昆布だったり
たたきつぶされた魚だったり
台所では
いつも正確に 朝昼晩への用意がなされ
その前には
いつも幾たりかの
あたたかい膝や手が 並んでいた
ああ
そのならぶべき いくたりかの人がなくて、
どうして女がいそいそと
炊事など
繰り返せたろう?
それは
たゆみないいつくしみ
無意識なまでに日常化した
奉仕の姿
炊事が
奇しくも分けられた
女の役目であったのは
不幸なこととは思われない
そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても
おそくはない
私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と
それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も 勉強しよう
それは おごりや栄達のためではなく
全部が
人間のために 供せられるように
全部が 愛情の対象あって 励むように
(END)
・・・・・
(かんぜんに、
(画ぞう(像)えらび、まちがった~。。
北海道グルメじゃ
ぜいたくすぎて、
女たちの つつましやかな・思いが 伝わらないよ
こんぶのつくだに(佃煮)とかに すべきだった・・)