「雪の日に読む小説特集」
と きいて、
多くの人が
まず、まっ先に 思い浮かべるのは
かわばたやすなり(川端康成)の
『雪国』では ないでしょうか?
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
この
有名な出だしで はじまる
中へん(篇)は、
ノーベル文学賞作家による「近代文学の金字塔」
ですが
ちゃんと読んだことがあるか というと、
あったっけ
って かんじなので、
このさい、しっかり
読んでみることにしました
『雪国』のぶたい(舞台)は、にいがた
(新潟県の、越後湯沢)
主人公は、
島村という 30代後半の男で、
親ゆずりの財産で シュミに生きる「高等遊民」
です。
東京に住んでいて
妻子もいますが、
たまに
ひとりで 旅に出て、リフレッシュしないと
生きていけない、
むずかしいタイプ・・
たまたま「越後湯沢」の
温泉で、
芸者「駒子」を 見初め
、
関係を もちます。
しかしながら、、
「魂の洗濯」を しに来てるだけの
島村は、
こまこ(駒子)の人生に
深入りする気は ありません。。
さりとて
はくじょう(薄情)者に 思われるのも
イヤなので、
自分の良心が いたまない・程度に
関わっていきます。
一方、こまこ(駒子)
は、
こんな・山里に住むことが あわれなほど、
キレイで
冴えがあり、
島村の、「上越ユートピア」の 体現者です
物語は、
二人が 出会ってから・別れるまでの
数年間を 描いています。
読者は その間、こまこ
(駒子)の身の上を知り、
「島村と駒子は、生きる世界が違いすぎるな・・」
と、
二人が そのうち
別れるのを、
予かん(感)したりします
って 書くと
いかにも「駒子」は 無学な温泉芸者で、
二人の間には
細やかな、心の引き合いとか、
しょうとつ(衝突)とか、
何もないのかな
って
かるく見がちですが、そんなことは ありません
「孤独な文豪・川端康成
」の ペン
は・・
ユートピアを もりたてなければならなかった・女のかなしみ
と、
せきにん(責任)をもって 女を愛しえ(得)ない・男のくうきょ(空虚)さ
を
わりと、リアルに 描くのでした。
ほとんどの 読者は、この主人公・島村を
「川端康成」という、
ふくざつ(複雑)なインテリ
そのもののように かんじるでしょう
しかし
かわばた(川端)自身は あとがきで、
「島村は無論私ではない。私は意識して島村をなるべく自分と離して
と、
なんか知らんけど、力説しています・・
、、、 (・・わざわざそう言うって、
かえって、自分が投えい(影)されてます、
と
白状しているように 思えますけど)
そこが
ちょっと しゃくぜん(釈然)と しませんが・・
さすがに
文章のほうは
じょじょう(叙情)的で・・
どこを 切り取っても、
国語の美しさを、存分に 味わえるのでした。
「ほどよく疲れたところで、くるっと振り向きざま浴衣の尻からげして、一散に駆け下りてくると、
足もとから黄蝶が二羽飛び立った。
蝶はもつれ合いながら、やがて国境の山より高く、黄色が白くなってゆくにつれて、遥かだった。
・・・」
【おすすめ度:かなり
】
(次回、「雪の日に読む小説特集」は、鈴木牧之の『北越雪譜』を ご紹介します)