かわばたやすなり(川端康成)の
小説『雪国』には、
にいがた(越後湯沢)の温泉地
が
描かれていましたが・・
そのなかで、主人公が
えちごちぢみ(越後縮)の産地である村を 訪れるシーン
が あり
「 雪のなかで糸をつくり、雪のなかで織り、雪の水に洗い、雪の上
績み始めてから織り終るまで、すべては雪のなかであった
と
昔の人も本に書いている。 」
そう、『雪国』の中に
出てくるのですが・・
ここで記されている「昔の本」
というのが、
今日、ご紹介する、
『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』です
書いたのは、
鈴木ぼくし(牧之)という、「越後縮」の 仲買人。(※織物商ですね
)
内容は
雪国のよろず百科事典で、
江戸時代後期、
数百万部をほこった、大ベストセラーでした
べちゃ雪
しか知らない・都会の人に、
「本場の雪は、結晶の形で落ちてくるんだよ」
とか、
「雪国には、こんな行事があるんだよ」
など、
ご当地のくらしや
、雪にまつわる・エトセトラ
を
イラスト付きで紹介した、分かりやすい本です
これを手に取った・読者のほうは、あたかも
「異国のおとぎ話」
でも きいているような
白いロマンをかんじ
うっとりしていた
らしいのですが・・
作者は
というと・・
「おめらの想像はるかに超えるほど大変なんだこっちの暮ら
」
と
ずっぷり・わからせたかった
らしく、
雪国ならではの事故や、災害についても、
かなり・細かく 記しています。
今のように、「地方の事情に関する共通認識
」
が
なかった時代、
これは
たいへんに いみ(意味)のある
出版であり、
北国との取引のある商人には、さぞ役に立ったであろう
と
さっせられます
鈴木牧之が
そのような本を 書いたのは、
・彼に学問があったからだ。
とか
・江戸の文化人とつながりがあったからだ。
とか、
・牧之の郷土振興を考える立場のためだ。
とか、
色々言われていますし、その全部であろうと 思います
それに加え
「
絶対に
忘れてはいけないのは、書かれた時代の背景だよね」
と
しん(親)友・チット
は、
言っています。
いわく
この本が 刊行された
1837年は、
大きな・ききん(天保の飢饉)が 発生していた年。
がし(餓死)者とかが
いっぱい出ていた、
この世のじごく(地獄)・まっただ中の時です・・
それ以前に おきた
「天明の飢饉」から、
やっとの思いで 立ち直った
東北信えつ(越)にとっては、
つまり
ものすご~~~~く・きびしい、「悪夢の再来」のじき(時期)だった
わけです。。
だからこそ
「越後財界の一角を担う商人
」
として、
牧之は、
こうそう(構想)から・30年
数々の困なん(難)を のりこえてでも
ついに
江戸での出版に こぎつけたのでしょう
彼は、つまり・・
「雪国を 滅びさせねぇぞ~ もっと、俺ったに注目してくれ~~」
という、
切なるねがい(願い)を 込めたはずです
ぼくし(牧之)は、学問や
、江戸文化人との交流
には お金を使ったけど、
それ以外は
つつましく・くらし、
手がたく商売に はげんでいた人だった
と
伝わっています
『北越雪譜』は、
「越後の偉人」が 郷土のために 世に出した
、
雪をもとかす
じょうねつ(情熱)の本だった!
と、
今一度、きょうちょう(強調)させて、いただきます
(みそ汁も いただきます)
(※すいません 写真のお味噌(日本海)は富山のメーカーのなんですけど、新潟のイメージ映像が足りなかったので使いました~。隣りの県だからいいですよね
)
【おすすめ度:歴史や古典に関心のある方に。
】
(次回の「雪の日に読む小説」は、宮尾登美子の『蔵』を 取り上げます)