遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

ガラス20 ヴェネツィアンガラス大皿

2020年09月26日 | ガラス

ガラス器をぼつぼつ紹介していたら、いつの間にか20回になりました。

遅生の品は、相も変わらずチマチマした物ばかりですが、今回は一区切りの意味で、少しばかりマシな物をさがしてみました。

ヴェネツィアンガラス(というふれ込みで購入した)大皿です。

   直径 48.2㎝、高 2.5㎝。 20世紀後半。

 

裏面は白ガラスです。

 

相当に大きな皿です。ガラス皿としては、最大級でしょう。

 

赤白の曲線が放射状に渦巻いています。

中心には、極小(1㎜程)の丸点が見えます。

 

ポンテ竿の先につけたガラスを遠心力によって広げて皿にしたのでしょうが、この極小の中心点は、卓越した技術を物語っています。

 

周縁は外側へ少し折りこまれています。 

裏面にも赤白線が少し凸状に浮き出ていて、白ガラスに棒状の色ガラスが貼り付いたガラス種を遠心力で広げていったと考えられます。

 

例によって、光にかざしてみました。

 

 

台風の目のような、極小の中心点がはっきりと見えます。

 

 

 

 

裏向きにしても、透けて同じように見えます(模様の向きは逆)。

 

手も透けてみえます。

この皿は、非常に薄いのです。

厚さは、3-5㎜ほどしかありません。

 

こんなに薄いガラスの巨大皿を誰が作ったのでしょうか。

裏面の中心付近をよく見ると、何やらサインのようなものが・・・・・

おお、作者が彫ったのか、クレヨンを摺りこめばもっとはっきり読めるはず、と意気込んでクレヨンで擦りました。

ところが、クレヨンは滑るだけで、全く文字が浮き上がりません、ツルツルなのです。

何と、文字は中に描かれているのです。文字を彫った後にガラスで覆ったのかも知れません。芸が細かいです

ポンテ跡(金棒から外した時のガラス痕)も全くありません。すごい技術ですね。

とにかく、四苦八苦して読んでみました。

Lino Tangliapietra

Effectre International

Murano  1984

と書かれています。

 

調べてみると、作者のLino Tangliapietraは、著名なガラス作家であることがわかりました。

1934年、イタリアのムラノ生まれ。12歳の時からガラス職人の道に入り、ムラノのガラス工房で数多くのヴェネツィアンガラスの作品を制作しました。1980年代に、ガラス作家として独立し、アメリカに拠点を移し、スタジオガラス工房で、芸術作品を製作し続けています(Wikipediaより)。

非常に多様な作品を作っていますが、今回の品とよく似た物もありました。

ヴェネツィアンガラス鑑定の基本は、ガラスの薄さと作家のサインの有無だそうです。

この品は、何がヴェネツィアンかもわからないまま、当てずっぽうで入手したものですが、どうやら大丈夫だったようです(^.^)

1984年の作ですから、独立して間もない時期ですね。世界へ羽ばたこうとする意気込みが感じられます。

 

ムラノガラスもヴェネツィアンガラスも、呼び方の違いだけだそうです。また、最近は、ヴェネツィアンではなくベネチアンと書かれることが多くなりました。パソコンの入力は簡単になりましたが、その分、アリガタミが薄れたような気がするのは私だけでしょうか(^^;

たまたま故玩館にやってきたヴェネツィアンです。素性もあきらかになったので、毀れないように展示しておきます(^.^)

 

コメント (10)
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