今回は、幕末期の奈良茶碗です。
径 10.3㎝、高台径 4.6㎝、高 8.8㎝。幕末期。
幕末に作られた色絵の茶碗です。
奈良茶碗は、飯茶碗の一種です。江戸時代、お茶をいれて炊いた奈良茶飯(粥)が流行し、それをよそう茶碗に付けられた名称です。普通の飯茶碗との違いは、はっきりしません。少し上手で、少し大振りの飯茶碗をそう呼ぶ事が多いように思われます。
今回の品が入っていた箱に「なら茶碗」と書いてあったので、タイトルにしました(^^;
本体、蓋の両方、内と外に、同じ絵が描かれています。
蓋部内側:
本体内側:
外側には、山水が雄大に描かれています。
なかなか味わい深い絵付けです。
金で書かれた詩文「柳枝経雨重松色带烟深」は、唐代の詩人、張謂の漢詩、郡南亭子宴の一節です。
亭子春城外 朱门向绿林。
柳枝経雨重 松色带烟深。
漉酒迎山客 穿池集水禽。
白云常在眼 聊足慰人心。
文人趣味の茶碗ですね。
この品物には、角印が朱で書かれています。
調べてみると、似たような書印の器がありました。
函館八景紋盃(『土と炎の芸術〜ふるさとに息づく技と心〜』岐阜県博物館、1993年)
函館焼については詳しいことはわかっていませんが、安政五(1858)年、函館奉行所が、美濃国岩村藩から陶工を招き、陶磁器生産を行ったのが始まりとされています。北海道初の陶磁器生産でしたが、原料を美濃から運ぶなど、採算がとれず、わずか3年で閉窯となりました。
函館に因んだ絵付けの品が代表的な物ですが、美濃焼風の品も多かったと思われます。美濃からの半製品に函館で絵付けをして、焼成した品です。
今回の品は、このような、函館焼の名目で焼かれた美濃焼ではないでしょうか。
遠く離れた美濃と北海道函館を結んだ焼物・・・ロマンがありますね。しかし、現実は厳しく、本当に短い命でした(^.^)