遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

物としての高札

2023年03月27日 | 高札

日本人なら誰でも高札を知っています。でも、それが一体何だったかということについては、時代劇のイメージから先へはなかなか行けません。一方、高札研究のほとんどは、為政者の支配の手段の一つとして、法制史上の観点から行われてきました。これではギャップがなかなか埋まりません。
せっかく手元に何枚かの高札があるので、私のブログでは、物としての高札にできるだけ焦点を当てることにしました。

中世の制札は、やや縦長の五角形(駒形)でしたが、その後、法令の文面が長くなるに従い、横長の五角形(駒形)や長方形(四角)の高札が一般的となりました。
高札の大きさは、縦40~50㎝、横50~260㎝、厚さ2~6㎝ほどです。書かれる文字の大きさや文面の長さなどによって大きさは異なってきます。特に横方向(幅)が、高札の種類による違いが大きいです。また、厚さも数倍の開きがあり、ぶ厚い高札と薄い高札とでは、重厚感が非常に大きく違います。
屋外で風雨にさらされる高札の材料には、檜、梅、松などの丈夫な板が使われます。上部には屋根がつけられるのが一般的です。

高札板は、反りや割れを防ぐために、裏木で補強されるのが普通です。高札板の裏側に溝を彫り、細木を差し込むのです。鳩尾状に切り込んだ溝に、凸形の木を差し込む方法、いわゆる「蟻仕口」といわれる方法が一般的です。さらに、きっちりと裏木を高札板に埋め込んで象嵌状態にして物があります。このように丁寧な補強がなされた品は稀です。釘で裏木を打ち付けただけの簡素な高札も多くあります。
高札は、長年、屋外で風雨にさらされるので、反りや割れが生じやすいです。裏木で補強すれば、高札の寿命が長くなります。しかし、全く補強がなれていない高札も少なくありません。  

駒形の高札の多くには、上部に屋根がつけられています。この形が日本の民家を想像させ、高札の威圧感を薄めさせたのかもしれません。
屋根は、単なる装飾ではなく、風雨を防ぐ役目を担っていました。高札場にはそれ自体に屋根が備っていますが、高札にも屋根をつけて、二重に風雨をしのいだのです。
高札表面をよく観察すると、屋根の効果によって、高札板の上部の方が下部より痛みが少ないことがわかります。文字が薄くなっている場合でも、上部の文字は比較的残っていて、読みやすいのです。ところが、下方の文字は薄くなっている場合が多く、判読に苦労します。
また、墨には腐食防止作用があります。特に、木部表面の風化を防ぐ効果が大きいのです。長年屋外に掲示された高札は、痛みが激しく、文字は薄くなります。しかし、墨の防腐作用により、墨書された部分は他の木部よりも剝脱しにくいので、書かれた文字が浮き彫りのようになって、文章が版木のように残るのです。この場合も、上部の文字の方が、下部より鮮明です。
このように、墨書が消えても文字の形の凸凹が残るので、横から強い光をあててやると文字がくっきりと浮かび上がり、判読可能となります。故玩館にある高札のうち、以前に紹介した江戸期の高札の大部分は、このような方法でかろうじて読むことができました。

高札場には、複数の高札が掲示されました。その中でも、正徳大高札のような主要高札は、人目に付きやすいよう、高札場の上部に、その他の高札は下部に掲示されました。

実際に高札がどのように、取り付けられたかは、はっきりしません。高札には、上端に吊り金具がついている物があります。したがって、この金具が使われた事は間違いありません。しかし、高札には相当重い物も多い。強い風にあおられたら、金具だけでは堪えられないでしょう。そもそも、吊り金具がついていない高札の方が多いのです。長い年月、安定して掲示しつづけるために、高札板全体を押さえる機構が必要です。高札場が残っていないので詳細は不明ですが、おそらく、高札場に設営された溝に高札を挟み込んで固定し、金具は補助的に使われたと考えられます。

高札は、幕府などの支配者が設置し、民衆に対して掲げた掲示板です。しかし、日常の維持管理やその費用は、基本的に、町や村の負担でした。
高札の掲示が長期間にわたると、文字が薄くなってきます。その時は、役人に報告し、村方で墨入れをしました。破損、焼失の場合は、藩の裁許を得て、新たに作成しました。

江戸時代、高札は、家が密集した場所に掲げられることが多かったので、しばしば火事にあいました。火事の際の高札について、残された記録は少ない。
以前のブログで紹介した、火事にあった高札は、その焼けただれた表面が、当時の状況を生々しく伝えています。現存すること自体が不思議な品です。
御高札守護役の最も重要な役目は、火事の際、高札をはずして、他所へ避難することでした。
また、中山道垂井宿では、火事の際、直ちに高札をはずして、近くの池に浸して、焼失を防いだと言われているます。

高札に書かれた触書文の体裁や形式も独特です。
高札の文面は、一定の様式に従って書かれているのです。まずはじめに、「定」、「覚」、「写」、「掟」などの表題で、法令全体の規定します。「定」は恒久法、「覚」は一時的な決まりです。このような規定が無い高札もあります。
次に、主文が来ます。内容が多く、文面が長くなる場合、横長の大型の高札になります。

末尾には、法令が発布された年月日と発給主体(発行者)名が書かれます。奉行、人名、行政機関名などです。
第2発給者の名が加えられたものもあります。幕府(奉行)や太政官などの発給主体により出された法令主文に、「右之通被仰出候間堅可相守者也」などの文面をつけ加え、その後に、追加発給した領主、縣名などを記した高札です。詳しくは次回のブログで。
年月日については、高札が最初に発行された年月日が使われます。その後、改訂があっても、年月日は変わりません。これは、高札の重要な点です。その代表が、正徳元年の大高札であり、江戸時代が終わるまで、約200年間、正徳元年五月日のままでした。

コメント (4)
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