遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

円空終焉の地(岐阜県関市)を訪ねました

2024年06月24日 | 故玩館日記

以前のブログで、円空の生誕地、岐阜県羽島市の中観音堂を紹介しました。

今回は、円空終焉の地を訪れました。円空生誕地から30kmほど北、岐阜県関市池尻、やはり、長良川の畔です。

この一帯は、広大な弥勒寺史跡公園となっています。

土曜日の午後というのに貸切り状態(^^;

写真の奥にあるのが弥勒寺。

円空は、江戸時代、廃寺となっていた弥勒寺を再興し、晩年をすごしました。

しかし、その寺は、大正九(1920)年の火事で焼失してしまいました。写真の寺は、その数百m東に再建されたものです。

焼失した弥勒寺跡へ向かいました(上の写真左(西)方)

竹林が枯れています。竹の花が咲いたのですね。

中央の黄線で囲まれた所が弥勒寺跡。

かなり大きなお寺であったようです。

寺には、数百体の円空仏があったそうですが、火事で灰になってしまいました。

竹林の中をさらに西に進むと、円空の墓への道があります。

しばらく山道を登ると、

円空の墓がありました。

弥勒寺跡の裏にあたります。

林の中にひっそりとたたずんでいます。

「ユ(梵字で弥勒菩薩)當寺中興圓空上人 元禄八乙亥天七月十五日 花押」

竹林をもう少し進むと、

関市円空館に出ます。

小さな施設ですが、関市にある300体あまりの円空仏の内、40体ほどを展示しています。その中には、円空の最高傑作とされる一木三体仏や善財童子像があります。

善財童子(パンフより)

円空館を後にして、山を降りていくと、

長良川の畔に出ます。

ここが、円空入定の場所です。

入定塚の横には大きな藤が生えています。

元禄八(1695)年、死期をさとった円空は、「この藤の花が咲く間は、この土の下で生きていると思え」と言い残して入定したそうです。

眼をやると、長良川が山にぶつかって、大きく蛇行し、瀬と淵が連続する変化にとんだ絶景が広がっています。

ここは、下流の岐阜市金華山麓とならんで、小瀬の鵜飼として有名な場所です。

小瀬の鵜飼は、暗闇の中、古式を多く残した方法で行われます。ここの鵜飼は千有余年の歴史をもっていて、円空の時代にも行われていたはずです。

円空の入定は、小瀬の鵜飼を真正面に眺めることができる場所でなされたのですね。

コメント (12)
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