今回は、一風変わった顰(しかみ)面です。
幅26.4㎝ x 長26.7㎝ x 高10.6㎝。重306g。室町時代?
大型で分厚い造りです。その割には軽い。木が枯れています。
稚拙とも思える、非常に素朴な面です。
つり上がった眼や、
大きく開いた口。
牙も上下に2本ずつ生えています(よく見ないとわからないほど短い(^^;)
顰(しかみ)面の要素を備えています・・・・
が、何とも言えず、親しみのある表情で、怖さとは無縁です(^@^)
彫りが素朴なことも、独特の純朴な表情を醸し出す要因でしょう。
では、彫りの素朴さはどこから来ているかというと、全体に平面的な彫り方からだと思います。
特に、これ以上開けないほど大きな口に並んだ歯や、
耳、鼻は、
小学生が彫ったかと思われるほど単調です。眼も一段掘り下げてあるだけです。いずれも、細かく彫りあげて曲面にするのではなく、平面的なままです。
太い眉毛をよく見ると、
左右の溝の中に孔が3つずつ開いています。
この孔は、
裏へ抜けています。
どうやら、眉毛には毛が植えられていたようです。
この面の最大の特徴は、裏に墨書きがあることです。
故玩館には、100枚ほどの古面がありますが、墨書きの記年銘がある品は、わずか数点です。
古面のほとんどは、由来、目的などすべてが不明です。墨書きは、古面の素性を明らかにする際、手掛かりを与えてくれる貴重なものなのです。
「奉寄進」
「◯原清助」
「◯応?七年八月十六日」
肝心の年号が薄れてはっきりとは読み取れません。「◯応」が正しいならば、7年間以上続いた年号は、明応年間(1492-1500)しかなく、この面は、明応七年(1498)に、◯原清助によって、奉納された物ということになります。
このようなタイプの奉納面は古面の図録などにもしばしば見られ、一般に鬼神面とよばれています。能面として顰(しかみ)が成立する以前の初源的な面かも知れません。
故玩館には、確か、アフリカ辺りの面もあったように記憶していたからです。
しかし、裏面に日本語の墨書きあるのを見て、日本のものであると分りました(^_^)
このような墨書きは貴重ですよね(^-^*)
古代の漆書き文書を思いおこしました(^_^)
アフリカの面を思わせるほどに素朴で、それだけに、古いことを示していますよね。
「能面として顰(しかみ)が成立する以前の初源的な面かも知れません」ね。
「◯応」と、「応」の付く元号は短い期間のものが多いですよね。
私も、多分、明応七年(1498)に奉納された物なのだろうと思いました。
最初、私も、南のどこかの島で、島民が踊る時に被る物かと思いました(^^;
墨で漢字が書かれていて、ビックリです。
面の役割が事細かに決まっていない段階では、国や地域を問わず、ユニバーサルな様式をとるのでしょうか。
世界各地の土器で、同じような幾何学模様がみられるのと似ていますね。
他に、どう考えても外国、それも南海の島々の物だろうという面がいくつかあります。また、いずれブログで。
陶磁器でもそうですが、品物の裏書は本当に宝くじですね。当たってうれしい花いちもんめ。けれど、あたらないのがあたりまえ(^.^)
ポリネシアよりもメラネシア的な感じがします。
墨書きの漢字には驚きました。
朝鮮半島からの文化が入って来る前の日本への想像を掻き立てられます
ポリネシア、ミクロネシア、メラネシアは仮面の宝庫です。その昔、アジアから人々が大移動したそうですから、日本の古面に通じるものがあるのかも知れませんね。