今回は、呉須赤絵の大皿です。
径 36.4㎝、高台径 18.2cm、高 7.6㎝。中国、明時代末期。
これは30年程前、気張って入手した品です。というのは、当時、この手の品は非常に高価だったからです。
呉須赤絵は、中国明末から清初にかけて、広東省あたりの民窯で焼かれた輸出用日用雑器です。粗雑なつくりながら、くだけた絵付けが詫び寂びに通じるとして、桃山~江戸時代にかけて大量に招来され、茶人に珍重されました。
一見、何が描かれているのかわかりません。よく見ると、楼閣、船、人物、山などが浮かびます。絵画の常識などクソくらえ、けっこうシュールな絵付けです(^.^)
周囲の模様も、何だかよくわかりません。ただ、ものすごいスピードで描かれたであろうことはうかがえます。
印判は、赤で描かれた四角模様です。印が押されているのではなく、手描きなのですが、形からそう呼びならわされいるのでしょう。
褐色の胎土の上に白化粧をして、色釉で絵が描かれています。
高台の裏には、焼成時、ヒッツキを防ぐためにまかれた砂がビッシリとついています。この品などは、砂というより小さな石粒です。
この手の皿ほど、毀誉褒貶の激しい物はないでしょう。かつて、呉須赤絵の大皿をもつことが、日本の粋人、特に茶人のステータスでありました。市場的にも、数十年前まではかなり高価でした。ところが、どういうわけか、十数年前から、出回る呉須赤絵の数が急に増えてきたのです。呉須赤絵は、中国本土には残っておらず、ほとんどが輸出品、しかもその多くが日本国内にあります。長年先人たちによって大切にされてきた品が、生活スタイルの変化や世代交代で不用となり、どっと放出されたのでしょう。それにともなって、値段も急降下。どこの骨董市へ行っても、この図柄の呉須赤絵が、手にとる人もなく、淋しそうに鎮座しています。
かつて大枚をはたいて入手したこの品ですが、そういう訳で、長い間、放ってありました。
それが、今回、ブログを書くにあたって、いつものように見直したところ、プチ発見!
印判の横に、もう一つ、赤い小さな印判様のものがあります。
描き損い?それとも、遊び?
いずれにしろ、これでこの皿の価値は、少しアップしました。
おかしな世界ですね(^.^)
古陶磁コレクターともなると、皆さん、初期伊万里大皿、古九谷大皿、呉須赤絵大皿には憧れますよね。それぞれ、1枚は欲しいと憧れますね。
古陶磁コレクターのステイタスシンボルですものね。
この大皿は、保存状態も良いですから、約30年前では非常に高価だったはずですから、随分と気張りましたね(^_^)
>値段も急降下。どこの骨董市へ行っても、この図柄の呉須赤絵が、手にとる人もなく、淋しそうに鎮座しています。
そうは言っても、手軽に買えるほどの値段にまで急降下したわけではなく、おいそれと手の届くものではないですから、誰も手にとる人もいないんですよね。でも、手に取って見てあげることぐらいはしてあげませんと可哀想ですね。かつての王者ですものね。
私は、呉須手の皿は、小皿くらいしか持っていません(><)
かつては、ゴツゴツした粗雑な器、あばたもエクボでした。それが今では、あばたはアバタ(^^;
私のように、粗雑品に手を出すことの多い者は、気が付けばアバタに取り囲まれて身動きができません(^.^)
>絵画の常識などクソくらえ
ええ、ええ、そうです。
私は魚の食べ残しの絵だと思ってしまいましたもの(笑)
呉須赤絵っていうのですね。知りませんでした。
アバタになっても、やがてまた見直される日も来るかもしれませんね(*^^*)
呉須赤絵は、かつては古陶磁を集める者にとって、憧れの品でした。でも、人間の心理は不思議なもので、いつでも入手できるようになると、熱がさめてしまいます。品物に変わりはありません。もっぱら人間の都合です(^.^)
「工藤吉郎さんが紹介していた、京焼風の肥前焼です。通常の伊万里より薄造りの陶器がかった磁器で、瀟洒な染付けの珍品」
との文言がありますが、それは、どのような文献の中に書かれているのでしょうか?
もしもお分かりでしたらご教示いただければ嬉しいです(^_^)
工藤吉郎さんは鍋島に詳しい方ですよね。
私も、工藤吉郎さんとは2~3度雑談を交わしたことがあります(^-^*)
また、物欲が先行し、集めたガラクタ類もしっかりと見ていない物がほとんどです。ブログを書く時に、おおそうだったのか、と気づく事が多いです。
芙蓉手はもっていません。Dr.Kさんが最近、超名品の芙蓉手をブログアップされていますので、ご鑑賞してください。
たしか、目の眼に工藤さんが連載されていたうちの一記事だと思います。探してみます。少し時間をください。