今日は割と暖かく、最高気温がプラス2か3程度なので、つららのしずくがぽたぽたと落ちていました。
明日からまた少し荒天だとの知らせを受け、今やっておかないと大変なことになる、と思ったので、車庫と納戸の屋根の雪下ろしをしました。
我が家は築35年以上の古い形の家。おまけに窓に付いている小さな屋根が多くて、そこからの雪の落下に注意しなくてはなりません。やっかいです。
うちには車庫が2つあり、一つは家の下にあるので屋根はありません。もう一つの車庫はの屋根に雪がたまりやすく、今回は今日までの積雪でざっと50~60センチはありました。
また、北側の納戸の窓下の屋根にも40センチ以上の雪が積もり、これも落とさなくてはなりません。でも、ここは窓から下に落とせるので危険はないため、落としやすいです。
初めは私一人でやっていました。連れが用事から戻った後で、私と共に車庫の屋根に上って雪下ろしをしましたが、さすが男の力ですね。
私は疲れ果て、「もういい・・・」といってギブアップ。
連れは、残りの全部をいとも楽にせっせと下ろしました。やせの力持ちです。
昔、空手と柔道をやっていた、見かけからは考えられない力の持ち主。
これは、被災地のどろ上げなどに随分と役立った模様・・・。
そんなわけで数十分後には屋根の色も見えて、作業もおしまい。
あー、これでまた数日安心して暮らせます。
連日の雪かき、雪下ろしは本当に嫌ですが、(もっと多く積雪のある地方の方々には本当に同情します。)この寒さとつらい作業があったればこそ、春のうれしさは何倍にもなります。
とはいえ、やはりつらい。雪のない地方で生活してみたい・・・。
我が家は古いだけでなく、ブルで運ばれてくる雪の塊の片付けの大変さに加え、かなり寒いので、年寄りになってまでも住める環境ではない!!と、私一人で連れに訴えています。連れは、しかし、「んー」というだけで、本心はわかりません。
さて、きのうの夜9時台のテレビ、テレ朝とTBS、結局TBSを見てしまった私。
見終わって、案外まじめにやっていたなという印象と、結局見なくても中身ははじめから読めていたな・・・と思い、やはり報道ステーションをみるべきだったと後悔。
(動画にありそうだから検索してみます。)
その後、NHK総合で10時55分から放送された「追跡!真相ファイル 揺らぐ国際基準」は参考になりました。
低線量被曝について、ICRP(国際放射線防護委員会)の年間100ミリシーベルトの安全性については、何の科学的根拠もなかったという元委員の告白。それは単に事故作業上必要な数字であったと。
「やっぱり」という印象。
日本政府は、未だにこの委員会の基準を信じて(信じ込まされて?)、国民に安全をPR
しているのです。放射線に「しきい値はない」というのが真実です。
低線量被曝も健康に害があるという事を多くの日本人は知らないかもしれません。
だから、「収束宣言」してしまった事で、情報から遠い人達、あるいは関心の薄い人達はますます危機感のないまま、食物などから知らないうちに被曝をし続けていくのです。
今、うそのいい加減な「収束宣言」をされてしまったことで、一部の人達からは、「もう原発は安全なんでしょ?」「放射線も出てないんでしょ?」「爆発ももうしないんでしょ?」って聞かれます。
とんでもない!。
放射線は今日も出ているし、明日も出ます。廃炉までに40年かかると言われますが、もっとかかるかもしれません。それまで少しずつでも出続けます。
おまけに4号機のプールには使用済み核燃料が入っていて、大きな地震が来て、そのプールが壊れると、今以上の被害が出ます。専門家達はそれを恐れています。
安全とか収束という言葉だけが先走り、国民の間に変な安心感とともに、原発事故を忘れてしまう、何事もなかったかのようになってしまう事は、とても危険なことだと思います。
年末までこんな話題をブログに書くなんて、去年の今頃は考えられなかったことです。
たった一日の大地震で、すべてが変わってしまった。
きのう帰省してきた娘が、わたしにふと言った言葉。
「お母さんはPTSD大丈夫?」
私は、確かに大地震の当初は、「娘が盛岡にいた」ことで、とても心配でした。でも、
PTSD(心的外傷後ストレス障害)になるまでには至っていなかったと感じます。
たぶんそれは、現地で直にその現場を見、臭いをかいだりというリアリティーを味わわなかったからかもしれません。(中には、テレビの映像だけでもそうなる方々も多いと聞きますが。)
そして私は、その後にのめり込むように原発に対する学びを続け、発信していこうと決めました。
娘はその言葉の後、自分が少しPTSDに近い状態であったことを告げました。
(今は元気です。)
時を選ばず襲う大地震の恐怖と心配、生まれて初めて遭遇した、近隣での大津波と大量の死者。ショックを受けない方がおかしい。
地震後も何度も自宅に帰省していた娘ですが、震災から9ヶ月以上経って初めてこう言いました。
ボランティアをされた看護師さんたちの三分の一がPTSDを発症しているという事を新聞で知りました。
医療関係に勤務している人達は、いつも人の生死とかかわっている分、PTSDにはなりそうもないと決めつけていたように思います。
多くの人々の心の中に、こんなにまで爪痕を残した大震災でした。
新年まであと3日。
ここあでした。
明日からまた少し荒天だとの知らせを受け、今やっておかないと大変なことになる、と思ったので、車庫と納戸の屋根の雪下ろしをしました。
我が家は築35年以上の古い形の家。おまけに窓に付いている小さな屋根が多くて、そこからの雪の落下に注意しなくてはなりません。やっかいです。
うちには車庫が2つあり、一つは家の下にあるので屋根はありません。もう一つの車庫はの屋根に雪がたまりやすく、今回は今日までの積雪でざっと50~60センチはありました。
また、北側の納戸の窓下の屋根にも40センチ以上の雪が積もり、これも落とさなくてはなりません。でも、ここは窓から下に落とせるので危険はないため、落としやすいです。
初めは私一人でやっていました。連れが用事から戻った後で、私と共に車庫の屋根に上って雪下ろしをしましたが、さすが男の力ですね。
私は疲れ果て、「もういい・・・」といってギブアップ。
連れは、残りの全部をいとも楽にせっせと下ろしました。やせの力持ちです。
昔、空手と柔道をやっていた、見かけからは考えられない力の持ち主。
これは、被災地のどろ上げなどに随分と役立った模様・・・。
そんなわけで数十分後には屋根の色も見えて、作業もおしまい。
あー、これでまた数日安心して暮らせます。
連日の雪かき、雪下ろしは本当に嫌ですが、(もっと多く積雪のある地方の方々には本当に同情します。)この寒さとつらい作業があったればこそ、春のうれしさは何倍にもなります。
とはいえ、やはりつらい。雪のない地方で生活してみたい・・・。
我が家は古いだけでなく、ブルで運ばれてくる雪の塊の片付けの大変さに加え、かなり寒いので、年寄りになってまでも住める環境ではない!!と、私一人で連れに訴えています。連れは、しかし、「んー」というだけで、本心はわかりません。
さて、きのうの夜9時台のテレビ、テレ朝とTBS、結局TBSを見てしまった私。
見終わって、案外まじめにやっていたなという印象と、結局見なくても中身ははじめから読めていたな・・・と思い、やはり報道ステーションをみるべきだったと後悔。
(動画にありそうだから検索してみます。)
その後、NHK総合で10時55分から放送された「追跡!真相ファイル 揺らぐ国際基準」は参考になりました。
低線量被曝について、ICRP(国際放射線防護委員会)の年間100ミリシーベルトの安全性については、何の科学的根拠もなかったという元委員の告白。それは単に事故作業上必要な数字であったと。
「やっぱり」という印象。
日本政府は、未だにこの委員会の基準を信じて(信じ込まされて?)、国民に安全をPR
しているのです。放射線に「しきい値はない」というのが真実です。
低線量被曝も健康に害があるという事を多くの日本人は知らないかもしれません。
だから、「収束宣言」してしまった事で、情報から遠い人達、あるいは関心の薄い人達はますます危機感のないまま、食物などから知らないうちに被曝をし続けていくのです。
今、うそのいい加減な「収束宣言」をされてしまったことで、一部の人達からは、「もう原発は安全なんでしょ?」「放射線も出てないんでしょ?」「爆発ももうしないんでしょ?」って聞かれます。
とんでもない!。
放射線は今日も出ているし、明日も出ます。廃炉までに40年かかると言われますが、もっとかかるかもしれません。それまで少しずつでも出続けます。
おまけに4号機のプールには使用済み核燃料が入っていて、大きな地震が来て、そのプールが壊れると、今以上の被害が出ます。専門家達はそれを恐れています。
安全とか収束という言葉だけが先走り、国民の間に変な安心感とともに、原発事故を忘れてしまう、何事もなかったかのようになってしまう事は、とても危険なことだと思います。
年末までこんな話題をブログに書くなんて、去年の今頃は考えられなかったことです。
たった一日の大地震で、すべてが変わってしまった。
きのう帰省してきた娘が、わたしにふと言った言葉。
「お母さんはPTSD大丈夫?」
私は、確かに大地震の当初は、「娘が盛岡にいた」ことで、とても心配でした。でも、
PTSD(心的外傷後ストレス障害)になるまでには至っていなかったと感じます。
たぶんそれは、現地で直にその現場を見、臭いをかいだりというリアリティーを味わわなかったからかもしれません。(中には、テレビの映像だけでもそうなる方々も多いと聞きますが。)
そして私は、その後にのめり込むように原発に対する学びを続け、発信していこうと決めました。
娘はその言葉の後、自分が少しPTSDに近い状態であったことを告げました。
(今は元気です。)
時を選ばず襲う大地震の恐怖と心配、生まれて初めて遭遇した、近隣での大津波と大量の死者。ショックを受けない方がおかしい。
地震後も何度も自宅に帰省していた娘ですが、震災から9ヶ月以上経って初めてこう言いました。
ボランティアをされた看護師さんたちの三分の一がPTSDを発症しているという事を新聞で知りました。
医療関係に勤務している人達は、いつも人の生死とかかわっている分、PTSDにはなりそうもないと決めつけていたように思います。
多くの人々の心の中に、こんなにまで爪痕を残した大震災でした。
新年まであと3日。
ここあでした。