五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

弥勒菩薩の指先

2009年06月01日 | 第2章 五感と体感
フランシスコザビエルが日本で布教を始めたときに、「イエス キリスト」を大日如来と置き換え解釈した日本人がたくさん居たようです。

フランシスコザビエルが日本に初めてキリスト教を伝来したわけではありません。その前に「景教」として日本に入ってきています。

だから、勘違いしたことが真理だったりすることもあるわけです。

東大寺を建立した聖武天皇の妻、光明皇后は、景教徒といわれています。

京都の太秦にある「広隆寺」は、養蚕、絹織物に携わる秦一族の秦河勝が建立しました。聖徳太子ゆかりのお寺です。

別名「太秦寺」は、中国では景教の教会を指したそうです。

何が始まりか、何が一番最初なのか、そんなことを考えていると歴史の興味は尽きません。

そこにいらっしゃる弥勒菩薩の美しいこと・・・

先日、中学の修学旅行以来、立ち寄ってみました。

お寺の境内には苔むした庭園が広がり、そこからどこから香るのか芳しい香りが漂い、不思議な気(け)を感じ、中に入りました。明らかに何かの「香」の香りです。
でも、国宝を安置する場所に香を焚く習慣があるとも思えず、首をかしげたまま、今だに謎です。

30年以上の歳月は、弥勒菩薩にとってみたら、そう長いものではありません。
でも、私の姿は、ずいぶん変りました。

美しい姿はそのままです。

右手親指と薬指を丸く指先で合わせ、人差し指と中指と小指は立っています。
この形は、キリスト教=景教の三位一体を表していると聞いたことがあります。

弥勒菩薩始まりはインドです。それが、いつしかミロク思想として景教と融合していきます。

始まりの前には、それより以前の始まりがあります。

しなやかな指先に見とれる人は、指先に籠められた神の愛、仏の慈悲をきっと誰しも感じるはずです。

美しい姿は、自然と手を合わせる人の情動を導きます。

人は、見えるものだけを見て暮らしているわけではありません。
見えているものか見えてくるものは、始まりの始まりを体感するところから始まるのです。

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