今日の朝日新聞の夕刊に、藤原新也氏の記事が掲載されていました。
この記事を書いた記者は、私と同じ世代の方でしょうか。
藤原氏の写真と文章は、現在の私を生かしている一粒の種であることは確かです。
私もガンジス河のガートに座れば、きっと何かが見えてくると思い、実際に二か月近い旅に出たわけです。
世界の広さと、異文化に触れることへの驚愕とか感動。
見たこともないような、経験したこともないような風景や人との触れ合い。
ガンジスを前に立つと、生と死が、メビウスの輪のように隣り合わせで、しかもどちらも表と表に見えてきます。「表と裏」という表現よりも、「表と表」という表現がふさわしいように思います。
メメントモリ(死を想え)を「想う」では物足りなく、「死を見る」という直接的な表現の方がなんともしっくりくるのです。
仕事を終え、夕食のひとときに目にした新聞記事。
見えてくるものを考える癖は、今だに変わりません。
だから、こんな風に生きているわけです。
「死を見る」ことは「生きる」ことと同じ。
ガンジスで見えてきたものは、こうやって生きる知恵として私の中で「生きている」というわけです。
20代前半での、多くの旅の経験。これもまた、私の宝物です。
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藤原氏の写真と文章は、現在の私を生かしている一粒の種であることは確かです。
私もガンジス河のガートに座れば、きっと何かが見えてくると思い、実際に二か月近い旅に出たわけです。
世界の広さと、異文化に触れることへの驚愕とか感動。
見たこともないような、経験したこともないような風景や人との触れ合い。
ガンジスを前に立つと、生と死が、メビウスの輪のように隣り合わせで、しかもどちらも表と表に見えてきます。「表と裏」という表現よりも、「表と表」という表現がふさわしいように思います。
メメントモリ(死を想え)を「想う」では物足りなく、「死を見る」という直接的な表現の方がなんともしっくりくるのです。
仕事を終え、夕食のひとときに目にした新聞記事。
見えてくるものを考える癖は、今だに変わりません。
だから、こんな風に生きているわけです。
「死を見る」ことは「生きる」ことと同じ。
ガンジスで見えてきたものは、こうやって生きる知恵として私の中で「生きている」というわけです。
20代前半での、多くの旅の経験。これもまた、私の宝物です。
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