今年の6月7日12時34分8秒付で「気仙沼線は鉄道として復旧されるか、それとも完全にBRT化されるか」という記事を掲載しました。それから半年以上が経過します。
JR東日本は、気仙沼線の柳津~気仙沼、および大船渡線の気仙沼~盛を完全にBRT化するという方針を示してきました。地元の自治体は鉄道の復旧を望んでいたようですが、今月25日、大船渡線の当該区間の沿線自治体である陸前高田市、大船渡市、気仙沼市の市長がJR東日本の提案を受け入れたと報じられました。今日付の朝日新聞夕刊8面4版「JR大船渡線 鉄道復旧断念 沿線3市長が了承」という記事によると、25日に東京で開かれた沿線自治体首長会議の席でのことであるそうです。
一方、気仙沼線の当該区間ですが、こちらは気仙沼市長が結論を保留しています。一方、南三陸町長と登米市長はBRT化を受け入れています。
BRT化はやむをえないところであると思われますが、大船渡線の終点である盛駅では三陸鉄道南リアス線および岩手開発鉄道と接続しており、このうちの南リアス線には影響が出るのではないでしょうか(岩手開発鉄道は貨物専用路線で、しかもJRなどには乗り入れない線内のみの運行です)。
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今回、完全BRT化が了承された大船渡線の気仙沼~盛ですが、法律的には少々ややこしい経緯を持っています。
まず、気仙沼~大船渡は、軽便鉄道法を根拠として建設されました(1934年までに全通しています)。大船渡線と言えば鍋鉉線と言われるほど奇妙な線形と、それにまつわる政争で非常に有名ですが、気仙沼~大船渡についてもその影響があったのでしょうか。
一方、大船渡~盛は、鉄道敷設法(大正時代)の別表第7号に定められる「岩手県山田ヨリ釜石ヲ経テ大船渡ニ至ル鉄道」の一部です。として登場します。1935年に大船渡~盛が開業し、1939年に山田~釜石が開業して、前者は大船渡線の一部に、後者は山田線の一部になりましたが、残りの盛~釜石は戦後に残されました。1970年になって、盛~綾里が盛線として開業し、1973年には吉浜まで延長されましたが、国鉄線として開業できたのはここまででした。結局、盛線は第一次特定地方交通線として廃止の対象となりますが、三陸鉄道が引き受け、残る吉浜~釜石も開業させることとなります。