ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

近江鉄道全路線乗車記(2)

2019年11月03日 06時00分00秒 | 旅行記

 多賀大社での参拝を終え、多賀大社前駅に戻ります。

 

 

 

 平日の午後の割には、神社に参拝客も多かったのですが、絵馬通りと名付けられた商店街にはほとんど人が歩いていません。自家用車で来る人が多いのでしょう。営業している店もそれほど多くなく、13時を過ぎていたからか、客も少ないのです。

 興味深かったのは、絵馬通りの沿いにある家屋の玄関に「笑門」と書かれた絵馬(と言っても馬は書かれていません)が掲げられていたことです。「笑う門には福来たる」ということなのでしょう。

 高宮行きに乗り込むと、2号車(800形モハ1804)に私を含めて7人、1号車(モハ804)に5人くらいが乗っています。3扉の車両で、屋根の上のベンチレーターがグローブ型です。元は西武の401系だったようです。

 13時25分、定刻に発車しました。田園風景の中に大型の工場が点在する風景です。この多賀線に限らず、近江鉄道本線や東海道本線、東海道新幹線ではよく見られます。スクリーン駅で6人が乗りました。1号車が後で、ワンマン運転のためにほとんどの無人駅では扉が開きません。2号車が前ですが、中扉は一部の有人駅などを除き、開きません。

高宮駅で降り、構内踏切を渡って駅を出てみました。狭い通りの住宅街でした。駅前には寿司屋くらいしかありません。

 高宮駅に貼られている案内です。御多分に漏れず、近江鉄道にも無人駅が多いのですが、駅員が配置されている駅であっても時間帯を区切っているのです。おそらく、終日配置駅は片手で数えられるくらいでしょう。

 もっとも、最近では首都圏でも早朝に駅員不在、などという駅が増えている状況です。

 合理化は、経営のためにはやむをえないのかもしれませんが、サービスの低下をも意味することがあります。近江鉄道の車両には整理券発行機が設置されていますが、乗客にとっては煩わしいものでしょう。川崎市で生まれ育った私は、鉄道はもとよりバスでも整理券が発行されないのが当然という環境で育ちましたので、大分市に住み始めたばかりの時に路線バスの整理券を取り忘れ、困ったこともありました。私でなくとも整理券を取り忘れたり、敢えて取らない人もいます。これらとは別に、整理券発行機の不調も考えられます。実際、今回近江鉄道の電車に乗ったら、整理券が出なかったと運転士に申し出た乗客がいました。

 また、翌日に利用した養老鉄道の場合、車掌としての資格を持たない添乗員が乗車しており、切符などを販売していました。近江鉄道では添乗員がいないのでしょうか。それとも、時間帯によるのでしょうか。

 もう一つあげておくと、ワンマン運転は運転士にとっても大変だろうと思われます。一人で運転士と車掌の両方をこなさなければならないからです。

 13時43分発の貴生川行きに乗ります。1号車(900形モハ901)には私を含めて11人、2号車(モハ1901)には6人が乗っているでしょうか(1号車からではよくわかりませんが)。いつの間にか東海道新幹線に沿って北側を走っています。尼子駅は交換駅ですが、水田が拡がり、住宅地などは線路から離れています。

 屋根のほうに豊郷病院と書かれた大きな看板が付けられた建物が見えてきたら、豊郷駅に着きます。北側には住宅が多く、南側は東海道新幹線の高架です。やはり何人かの客が降りていきます。乗る人はあまりいません。

 線路のそばは水田、畑、少し離れて住宅という車窓が続きます。線路のそばに住宅があれば、駅が近いということです。愛知川駅に着くと、ここで男女の高校生6人などが乗ってきました。交換駅ですが、番線表示はありません(関東地方の大手私鉄で、乗り場が複数あるのに番線表示のない駅はほとんど見かけませんので、気になるのです)。

 愛知川駅を出て、東海道新幹線から離れ、高架になり、川を渡ります。橋から東海道新幹線が見え、左にカーブし、東海道新幹線の下をくぐる直前に五箇荘駅に着きます。小学校低学年の児童が30人くらい乗ってきました。シャディの中央物流センターはすぐ近くです。

 そういえば、彦根駅付近を除き、米原駅から五箇荘駅まで、車窓からは大型の商業施設らしきものがほとんど見えません。水田を通り抜けるようにして走りますが、直線が長い割には速度が出ません。そのうちに河辺の森駅に着くと、また親子5組が乗ってきました。車内は賑やかです。本当に少子高齢化社会なのかと疑いたくなったほどでした。

 緩い右カーブの後、八日市駅に着きます。乗換駅だけに大きく、ここで米原行きと交換します。

 ようやく、駅前にショッピングセンターなどが見えました。彦根駅や近江八幡駅の周辺ほどではないとしても、近江鉄道の沿線としてはそれなりに大きな街であるようです。

 児童たち、高校生たちなど、多くの乗客が降りていきました。しかし、乗ってくる客もそれなりにいます。1号車は13人(私を含めて)、2号車は20人くらいです。14時18分、ようやく発車します。単線なので仕方のないところもありますが、列車交換の際の長い停車時間が、鉄道の乗客を減らす原因の一つではないでしょうか。

 八日市駅を発車してもしばらく続く住宅地の中を通り抜けます。また田畑が近く、住宅が少し離れているという風景が見られるようになると長谷野駅に着きます。住宅は多いようです。直線を走り続け、大学前駅です。駅前にびわこ学院大学のキャンパスがあるのですが、電車の中からは少し見えるくらいです。反対側はとても大学のある場所とは思えない、大学の施設があるとすれば演習林だろうと思えるような光景です。ここからカーブが続きます。次の京セラ前駅も非交換駅ですが、どこに京セラがあるのか、事情を知らなければ全くわからない所です(駅のそばの踏切を、名神高速道路に沿うように東へ進むと、京セラの滋賀蒲生工場があります)。ただ、駅前に太陽光発電所がありました。

 そう言えば、京セラドーム大阪へ行こうとした人が何をどのように調べたのか近江鉄道の京セラ前駅に行ってドームを探したという話を聞いたことがあるのですが、どう考えてもそれはネタであろうとしか思えません。

 水田と住宅が混じり舞うような風景がまた続き、交換駅の桜川駅で降りたのは2人、乗る人は0人でした。

 桜川駅を出てしばらくすると、林の中に突っ込むように走り、川を渡ります。所々に民家が集中しており、すぐに朝日大塚駅です。2人が降り、1人が乗りました。住宅地は少なくなります。とにかく水田が多く、その中を抜けていくのです。私にとってはよい風景でもあります。ただ、直線区間も多い割には速度が出ないことは気になります。速度計を見ていませんが、60km/h、いや50km/hも出ていないかもしれません。と思っていたら、周囲に何もなさそうな朝日野駅です。一般道路の高架橋が目立ちます。八日市駅を出てから、住宅の造りも違っていて、木造瓦葺き屋根、いかにも旧家、農家という家屋が多くなります。

 学校が見え、住宅が増えたと思ったら日野駅に着きます。交換駅で、ここで5分停車します。高校生など9人が下車し、1号車は私を含めて3人だけになりました。2号車は7人です(駅員がいない時間帯なので、扉は開きません)。米原駅から990円、彦根駅から930円。1デイスマイルチケットを買っておいてよかったと思いました。

 多くの客が降りた米原行きの電車と交換してから貴生川行きは発車し、大きく右へカーブすると本格的な田園風景となります。ローカル色が濃いのはこの辺りであると言えます。山の中を走り、トンネルを抜けます。20km/h、いや15km/hではないかと思えるほどの徐行が続きます。トンネルの幅が狭いからだろうと思ったのですが、進行方向左側には土砂崩れか落石かの跡も見えます。ブルーシートがかけられていました。民家が見えなくなりました。

 この辺りは、近江鉄道でもとくに沿線人口が少ないと思われる所です。乗客の数も見込めません。LE10が八日市駅〜貴生川駅で運用されたというのもわかります。

 甲賀市に入り、水口松尾駅に着くと2人乗ってきました。急に住宅が増えたと思ったら水口駅でした。やたらと植物の多い駅構内です。1号車は8人になりました。

 先程から気づいていたのですが、金曜日の午後という条件があるとは言え、20代、30代、40代の男性はほとんど乗っていません。同年代の女性の乗客はいます。男性の客は、10代でなければ若くとも50代、大体60代以上ということになります。中学生や高校生が利用しなくなったら、地方の鉄道の存在意義がなくなる、とまでは言えなくとも、薄くはなります。

 水口駅を出ると再び住宅地の中を走り、水口石橋駅に着きます。2人乗ってきました。また住宅地の中を走り、水口城南駅では12人が乗りました。ようやく、郊外型大規模店舗も見えるようになりました。すると、また林の中を抜け、田園地帯と住宅地が綯い交ぜになったような所を走ります。住宅が多くなり、左に大きくカーブすると、JR草津線が右に見えて、貴生川駅に到着です。かつては国鉄信楽線であった信楽高原鉄道の起点駅でもあります。

 ちなみに、駅の近くに貴生川という川はありません。合成地名であるためです。

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