私が担当している大学のためなのか、一般的傾向であるのかはわかりませんが、採点して気になることがありましたので、ここに記しておきます。
なお、このブログに「法律学の勉強の仕方(その4)答案練習」および「期末試験の答案 書き方など」を掲載しておりますので、併せて御覧ください。
論述式試験やレポートを出題しているということは、「●●について論じなさい」のような一行問題であれ事例問題であれ、必ず論点(争点)があります。これが出題者の意図です。論点がなければ、2行か3行で、あるいは100字以内(でも何文字以内でもよいのですが)で説明するように指示しているはずです。
そうなると、問題文に隠れている論点(争点)を見つけ出し、示すことが必要になります。ところが、この論点(争点)の摘示ができていない答案・レポートが非常に多いのです。論点(争点)を上手く摘示できるか否かは、その後の論旨に重大な影響を及ぼします。これは当然のことであり、誤った論点(争点)を示すと後続の部分が問題文とかけ離れた論述となり、不合格点まっしぐらになります。
続いて、論点(争点)に関する学説や判例の概要を示す必要があります。これもできていない答案やレポートが多く、全く示していないもの(これはとくに、参照条文を付した論述試験問題において見受けられます)、あるいは、示してはいるが不十分であるか的外れなものであるかというものばかりということもあります。
そして、このところ特に多いのは、判例の概観をした上で、直ちに「判例の趣旨が▲▲であるから、この問題についても▲▲である」という短絡的な答案やレポートです。判例や学説の検討や批判が必要であり、最終的に判例の立場に依拠するとしても、まずは判例の立場が妥当かどうかを検討しなければなりません。実務であれば「判例の趣旨が▲▲であるから、この問題についても▲▲である」という解答が求められるでしょうが、法律学という学問における試験・リポート問題なのですから、判例、学説など、複数の説(だから論点・争点が登場するのです)の妥当性を検証する必要があるのです。判例の立場を無批判に採用することは、問題の本質が見えなくなることにつながります。注意しましょう。
もっとも、「判例の趣旨が▲▲であるから、この問題についても▲▲である」というようなものは学者の判例評釈などにも時折見受けられますが、主題や展開に左右されるとはいえ、手抜きと言ってもよい場合が多いでしょう。レポートの場合は、いくらでも体系書や論文などを参考として読み、引用してもよいのですが、論述の仕方に十分な注意を向けてください。