最初にお断りです。今回は、私の「川崎高津公法研究室」に掲載していた「待合室」の、次の記事の再掲載です。
第416回:「東急田園都市線途中下車(10) たまプラーザ駅(その1)」(2011年5月7日〜14日掲載)
第417回:「東急田園都市線途中下車(10) たまプラーザ駅(その2)」(2011年5月14日〜21日掲載)
いずれも、写真撮影日は2010年11月7日です。誤字脱字を除き、内容を修正しておりません。したがいまして、後の事情変更なども一切反映しておりません。御注意ください。
2005年4月何時の頃からか、漢字を用いず、平仮名だけ、片仮名だけ、あるいは平仮名と片仮名の併用という駅名や地名が多くなりました。21世紀に入ってから大きく吹き荒れた市町村合併の嵐により、平仮名だけの市名がいくつか誕生したほどです。
漢字を用いない駅名も、調べてみると意外に多く見つかるものです。私がすぐに思いつくのは、横浜高速鉄道の「みなとみらい」駅です。札幌市営地下鉄南北線と東豊線には「さっぽろ」駅があり、これが正式名称です(JR北海道のほうは「札幌」と漢字で表記しています)。大阪市営地下鉄中央線と南港ポートタウン線には「コスモスクエア」駅がありますし、南港ポートタウン線には「フェリーターミナル」駅もあります。また、大阪市営地下鉄御堂筋線の難波駅、我孫子駅、中百舌鳥駅は、路線案内図ではそれぞれ「なんば」、「あびこ」、「なかもず」と平仮名で書かれています。どれも難読だからということのようですが、難波は難読地名なのでしょうか(近鉄と阪神の大阪難波駅は漢字表記です)。我孫子も、千葉県にある常磐線の駅は漢字表記です。そして、これも意外なのかもしれませんが、東京の地下鉄の駅名には漢字を用いないところがありません。
このように平仮名や片仮名を多用する駅名のルーツはどこにあるのでしょうか。これがよくわかりませんが、少なくとも、最近の傾向などを見ると、ルーツの一つは東急線ではないかと思われるのです。田園都市線には、たまプラーザ、あざみ野、つくし野、すずかけ台、つきみ野があります。こどもの国線(正式には東急線ではないのですが)の終点はこどもの国です。また、東急の場合、地名や駅名で使われることが多い「ヶ」や「ノ」は平仮名で表記します(例、市が尾、溝の口)。
しかし、東急線の駅名をよく見ると、平仮名だけ、片仮名だけというものはありません。漢字も使われている駅が多いのです。漢字が一切使われていないのは「たまプラーザ」だけです。そして、この「たまプラーザ」が、東急で唯一、片仮名を使用する駅名でもあります。そして、今ではすっかりおなじみになった「プラザ」というスペイン語(実際の発音は違うようです)も、この駅がきっかけではないかと思われます。
2010年11月、妻と田園都市線に乗り、たまプラーザ駅で降りました。田園都市線の溝の口~長津田が開業した1966年に、この駅も開業しています。名付け親は東京急行電鉄の当時の社長、五島昇氏です。渋谷から田園都市線に乗ると最初の横浜市の駅で、ここから田奈までが青葉区にあります。また、意外に知られていませんが、横浜市では最も北にある駅です。
Plazaを「プラーザ」と発音する例は他にないと思われます。中国語表記でもわかるように、広場を意味します。
たまプラーザ駅は、田園都市線の溝の口~長津田の開業時に開業しました。それ以来、駅の構造に大きな変化はなかったのですが、再開発事業が行われ、別の駅になったのかと思われるほどの変身を遂げました。これは、2009年に一部が開業し、2010年10月に完成した「たまプラーザTERRACE(テラス)」のためです。2009年10月から現在の駅となっています。
駅とたまプラーザTERRACEは一体となっています。また、バスターミナルも地下にあります。田園都市線しか通らないのですが、それにしては大規模な駅舎となりました。 なお、この駅は、社団法人鉄道建築協会の鉄道建築協会賞(作品部門)のうちの最優秀協会賞を受賞したそうです。
たまプラーザ駅は急行停車駅です。それもそのはずで、この駅の周辺は、民間の開発によるニュータウンとしては最大規模である多摩田園都市の中核となる場所と位置づけられているのです。ちなみに、この駅の所在地は横浜市青葉区美しが丘1丁目です。
まずは北口に出てみます。こちらは東急百貨店たまプラーザ店、イトーヨーカドーたまプラーザ店への出口ということになります。また、高級住宅街と言ってよい美しが丘三丁目(平津)も、こちら側から向かうことになります。
私が初めてたまプラーザ駅を使用したのがいつのことであったか、はっきりとは覚えていません。1980年代の前半、私の中学生時代には何度か利用していますので、その頃のことかもしれません。当時は駅舎もこじんまりとしており、改札口も他の駅とあまり変わらないような大きさでした。隣の鷺沼やあざみ野のほうが広かったと記憶しています。テレビ朝日系列で放映されていたドラマ「私鉄沿線97分署」の舞台がこの駅で、北口がよく画面に登場していましたので、御覧になられた方も多いと思います。
東急百貨店たまプラーザ店が見えます。1982年に開店しました。私は中学校2年生で、開店間もない頃に入っており、その後も時折ですが入っています。よく、有隣堂に寄っていました。現在は有隣堂が南口の新しい建物の中に移転しており、かつての有隣堂のスペースにハンズ・ビーと文教堂ホビーが入っています。私はどちらにも入りました。
右側にはバスターミナルがありました。現在は地下に移転しています。ここは東急バス虹が丘営業所(略号はNJ。川崎ナンバー)が所管する路線が多く集まる所であり、多くの便が発着しています。つい最近までは3ドアのバスをよく見かけました。入口は前の一つだけなのですが、出口が中と後の2か所あるというものでした。
妻と百貨店に入りました。そこから駅の「たまプラーザTERRACE(テラス)」につながるブリッジがあり、そのブリッジから撮影してみました。下を通る道路を奥のほうに進むと、あざみ野、荏子田などに行けます。手前のほうに進むと鷺沼駅のほうへ行けます。
ブリッジから、今度は鷺沼側を撮影してみました。右は「たまプラーザTERRACE(テラス)」で、手前は最近建てられたものです。バスターミナルの出入口があります。その奥のほうはテラスの開業前からあり、何度か入ったことがあります。
奥にはいくつか団地があります。その団地より奥へ進むと、敷地が広い住宅地となるのです。
前回書き忘れましたが、たまプラーザ駅で東急田園都市線途中下車シリーズは第10弾となります。また、横浜市青葉区の駅を取り上げるのは初めてのこととなります(以前第5弾に編入した長津田駅は、横浜市緑区にあります。分区前はたまプラーザから長津田までが緑区の駅でした)。
妻と「たまプラーザTERRACE」に入り、とくに私が愛用するメモ帳のメーカーであるデルフォニクスの店があるのでうれしくなりました。東急ハンズや伊東屋でデルフォニクスの商品をよく見かけ、見比べては買うのですが、たまプラーザの店は直営らしく、興味深いものがたくさんあります。「たまプラーザTERRACE」には、デルフォニクスの他にも、少なくとも私にとっては面白そうな店がいくつかありました。
ともあれ、たまプラーザ駅とその周辺を歩き続けましょう。
日曜日の午後、たまプラーザ駅の周辺は多くの人で賑わっていました。これは以前からのことです。何と言っても多摩田園都市計画では中核となる駅の一つと位置づけられていたのです。国道246号線からは少し離れていますが、自動車でも行きやすい場所です。
円を基本にしたデザインとなっている、現在のたまプラーザ駅の改札口と自動券売機コーナーです。この駅には定期券売り場がありませんが、現在では自動券売機でも定期券を購入できますから、その点ではあまり問題はありません(通学用定期の場合は問題となりますが、隣の鷺沼かあざみ野に行けばよいということになります)。自然光を取り入れるための構造なのでしょうが、ここまで大胆なデザインというのも珍しいでしょう。何せ、田園都市線しか通らないのです。
現在、横浜市営地下鉄3号線(1号線と合わせてブルーライン)は、隣のあざみ野駅を起点としていますが、実はたまプラーザ駅が起点となる可能性もありました。地形の関係などもあって、たまプラーザではなく、あざみ野となった、という話を聞いたことがあります。ただ、地下鉄の起点をめぐり、東急と横浜市が対立したことがありました。東急はたまプラーザを、横浜市はあざみ野を、と主張したのです。結局、あざみ野に決まったのですが、おそらくはこの対立のためでしょうか、東急田園都市線の急行は、長らくあざみ野を通過していました。
改築前は改札口が1か所しかなかったのですが、現在は中央改札と東改札の2か所があります。北口、南口に出るには中央改札、北口バスターミナルに出るには東改札のほうが便利であるようです。また、この駅から成田空港行のバスが出ていますが、それに乗るには東改札を出て北口バスターミナルに行けばよい、ということです。羽田空港行のバスの場合は中央改札を出て南口バスターミナルに行けばよい、ということになります。
田園都市線が開通するまで、この辺りはどのような場所であったのでしょうか。今の様子からは想像がつきませんが、北口バスターミナルから柿生駅行か虹が丘営業所行のバスに乗り、保木を通ると、畑などが広がる風景を見ることができます。荏子田方面を走るバスでも、昔の風景が残っているような場所を通るかもしれません。青葉区や川崎市麻生区(「あそうく」ではなく、「あさおく」と読みます)には、所々に昔の山里の風景が残っているのです。機会があれば、そのような所も紹介したいと考えています。
今度は駅の南口に出ます。こちらは北口以上の大変貌を遂げていました。以前は目立つ商業施設がほとんどなかったはずです。東急百貨店の駐車場があったこと、テレビ神奈川(tvk)の住宅展示場、東急ケーブルテレビ(現在はイッツコム)の本社があったことを覚えています。「たまプラーザTERRACE」は、南口にも広がっており、別の建物ですがサウスプラザもできました。私が時折行っていた有隣堂は、南口のほうに移転し、拡大しました。
手前にバスターミナルがありますが、位置が変更されているだけでなく、面積も拡大されているようです。こちらは新石川や都筑区方面に向かうバス路線のターミナルなのですが、北口よりも系統数、本数ともに少ないのです。
南口を別の角度から撮影してみました。右側の道路を境として、変わった所と変わらない所とが分かれているような気がします。左側は「たまプラーザTERRACE」で、有隣堂、無印良品、東急ストアがあることがわかります。右側は、以前からの住宅地です。テレビ神奈川の住宅展示場は現在もあります。そして、上の写真ではわかりにくいかもしれませんが、右の奥に国学院大学の建物が見えます。ここにもキャンパスがあるのです。ただ、私は渋谷キャンパスでしか講義を担当していませんので、たまプラーザのほうには入ったことがありません。また、写真では全くわかりませんが、奥のほうには東名高速道路が通っています。ここに一番近いインターチェンジは東名川崎です。
無印良品が西武セゾン系の店舗だったことを知る者にとっては、東急系のショッピングセンターに入居しているのを見る度に時代の変化を強く感じます。かつては東急VS西武という有名な「戦争」があり、渋谷での東急百貨店VS西武百貨店、東急ハンズVSロフト、109(言うまでもなく、東急の語呂合わせ)VSパルコ、現在の伊豆急行をめぐる争いなど、長年にわたる厳しい対立関係にあったのです。しかし、セゾン系は1990年代に縮小を続け、ついに解体してしまいます。そして、元々は西友の一企画から始まった無印良品が青葉台東急スクエアなどに入り、ハンズ・ビーが西武新宿のペペに入っています。
前回取り上げた北口に比べ、南口のほうがお客が少ないように見えます。これは以前から変わらない傾向です。
東急田園都市線途中下車シリーズはまだ続きますが、次はどこを取り上げようかと考えています。営業区間の距離も長ければ駅の数も多いので、全部の駅をまわり、紹介し終わるまでには長い時間を必要とします。とりあえず、再び、渋谷から中央林間まで全ての駅をあげてみましょう。なお、カッコの中の数字は第●弾として取り上げたという意味です。
渋谷→池尻大橋(3)→三軒茶屋(1)→駒沢大学(9)→桜新町(4)→用賀→二子玉川→二子新地(6)→高津(2)→溝の口(8)→梶が谷→宮崎台(7)→宮前平→鷺沼→たまプラーザ(10)→あざみ野→江田→市が尾→藤が丘→青葉台→田奈→長津田(5)→つくし野→すずかけ台→南町田→つきみ野→中央林間
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