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海外ドラマや映画の感想いろいろ書いてます。

シャーロック・コンベンション その2

2015-04-26 21:49:42 | Sherlock Topics 2015
シャーロックコン続きです。

昨日ははりきって追いかけていましたが今日はかなりペースが落ちちゃいました。
体力ないですね(苦笑)

ジョンの年齢に未だにちょっと不信感がありますが(笑)
そういえば以前作ったタイムラインが途中で止まっているのを思い出したので、
この件はそちらでゆっくり考えようかと思います。
マイクロフトの生年月日は公式には何も出ていないような気もしますが
正典の設定の7歳違いを踏襲しているんでしょうね。

それではジョンヒストリー2枚目です。


A REGULAR HERO

John became and British Army doctor and served as a Captain in the Fifth Northumberland Fusiliers.
He was deployed to Afghanistan where he served for three years in Helmand Province until August 2009,
when he was wounded in action.

John's friend and fellow Fusilier Sergeant Murray Burns wrote:

"On Sunday 14th of August 2009 John's world changed for him.
Captain John Watson was always a hands on guys and key part of what made us a team.
He got truly involved in helping to make a change over here. A real soldier.

John loved being part of the company and on long patrols helped to keep the moral high.
Being in the Army was what John loved doing and he was a natural leader and the men respected him for that.
He was strong under fire and someone you want around you when things get tricky.

On the morning of the 14th, John and our squad were called upon to deploy to Sangin,
Helmand province. We were sweeping streets and patrolling the town,
checking buildings that were suspicious and looking for suspect environments that could hide IEDs.

Our task was to look for IEDs and within the first two hours we had found two.
We safely managed to disarm them,
however our presence had been observed and the locals were well aware of our deployment in the town.

Later in the afternoon we were walking in a south easterly direction when I heard a large explosion from behind me.
There was some confusion and we all hit the deck, and it was at that point I saw one of our troops,
Corporal Hattrick, was down and badly injured with severe damage to his right leg.

At that point John scrambled into action, and took over looking after Corporal Hattrick.
I took point and we regrouped to secure the ground.
John was busy working on Corporal Hattrick when we heard automatic fire;
our company located sources quickly and sent out some covering fire.

We then saw some movement and opened fire at that location, hitting a number of individuals.
No more gunfire was heard after that point,
and after looking back at our group to check if everyone was ok, we saw John was down and had been hit.

John’s upper right shoulder had sustained extensive damage
and trauma due to the bullet that entered the front of his shoulder through the trapezius
and exiting out the back through the pectoralis major.
John was in a bad way and needed to be evacuated out with Corporal Hattrick.

John was a shining example to his men, all of whom admired and respected him.
It’s sad to not have John around, as whenever we needed a good joke, he was your man,
and often had us all in stitched (excuse the pun),
but now he is recovering it will be tough on him being a survivor as through and through he was an Army man.

Sergeant Murray Burns
5th Fusilier
On deployment, Helmand Province, Afghanistan"

以下、拙訳です。


軍の英雄

ジョンは英国軍の軍医になり、第5ノーサンバーランドフュージリア連隊の大尉に任命される。
彼はアフガニスタンに配備され、戦闘中に負傷した時は2009年8月までの3年間ヘルマンド州で任務についていた。

ジョンの友人であり仲間でもあるフュージリア連隊の軍曹のマレー・バーンズが記している。

2009年8月14日の日曜日、ジョンの世界が一変しました。
ジョン・ワトソン大尉はいつもみんなと一緒に現場に出ていて、それは我々チームにとっては重要な要素でした。
こちら側に変化をもたらそうと本当に頑張っていました。真のソルジャーです。

ジョンは軍隊の一員であることが好きで長時間巡回する事によって高いモラル基準を維持する事に一役かっていました。
ジョンはそうしたことが好きだったので自然とリーダーになっていき、男たちは彼に敬意を表していました。
彼は砲火の中で誰かに何かあったときに備えて近くに来てほしいときにも精力的に動きまわっていました。

14日の朝、ジョンと我々分隊はヘルマンド州のサンギンで配置につくよう命令が下りました。
我々は街路を一掃し、街を巡回し、IED(手製地雷)が隠されていると思われる建物をチェックしました。
我々の任務はIEDを探すことで、最初の2時間でふたつの地雷を見つけました。
我々はそれらを問題なく撤去しました。しかし、我々の存在は監視されており、住民は街での我々の配置をよく知っていました。

私の背後から大きな爆発音を聞いたのは我々が南東に向かって歩いている時でした。
混乱しながらも全員地面に伏せましたその時、隊員のひとり、ハットトリック伍長が倒れました。

その時ジョンは素早く行動し、ハットトリック伍長の介護をしました。
私は先頭に立ち、周辺を確保するべく隊を立て直しました。
彼は右足にひどい怪我を負っていました。
我々が自動発射の音を聞いたときジョンはハットトリック伍長の処置に忙殺されていたので、
我々はすぐに発射された位置を見つけ援護射撃を行いました。

我々は動向を見ながらその方向に発砲し多くの人に当たりました。
銃撃音が止んでから、みんなが無事かどうか確認するために振り返ると、ジョンが撃たれて倒れていました。

肩の前部から入り込んだ銃弾は僧帽筋を貫通し大胸筋の裏側を通り抜けました。
それが原因でジョンは右肩の上部にひどい傷とトラウマを負いました。
ジョンは重体だったのでハットトリック伍長とともに安全な場所に退避する必要がありました。

ジョンは部下たちの模範だったので皆彼を賞賛し、また尊敬をしていました。
ジョンがいないのは悲しく、上手いジョークが必要な時にジョンがいないのは悲しい事でした。
彼は最高の男で我々をよく大笑いさせました。(ひどいダジャレです)
だが彼が回復した今、彼は徹底した軍人だったので生存者になったことはとてもつらいのではと思います。

アフガニスタン ヘルマンド州にて
第5フュージリア連隊
マレー・バーンズ軍曹

引用元です
http://holysuddenappearancesbatman.tumblr.com/post/117270232907/john-hamish-watson


ジョン・・・(涙)
それにしてもすごいですねー。さすが歩く英国政府を向こうに渡り合えるだけあります。
元軍医で射撃の腕もプロ級で度胸もあって隊員たちから真のソルジャーと尊敬されている人物って相当ですよ。
これ全部S3でメアリーに持っていかれましたけど・・・(しつこい)

史実では2010年に英国軍はヘルマンド州から撤退しています。
戦死者が多く、特にIEDの被害が甚大だったそうです。
タリバンの攻撃はゲリラ戦法が多かったらしいので大隊には攻撃せず小隊を狙っていたようです。
そう考えると上記の話はヘルマンド州に駐留した英国軍の現状そのものなんでしょうね。

ジョンのコーナーには軍服と戦車、というかこれは自走砲?の展示があったそうです。


ヘルマンドにはあまり戦車を持ち込んでおらずウォーリア装甲戦闘車を使っていたとどこかで見ましたが、
これは何だか小さいし軽そうだし自走砲のような気がします。あまり詳しくないのでよくわかりませんが。


ジョンのこのコラ写真の元画像が特定されたのでしょうかね。


元画像


元ソースです。
http://nixxie-fic.tumblr.com/post/117290111403/ahh-google-images-my-old-friend-i-looked-for-the

次はブースの画像やゲストのトークなどを。。。


シャーロック・コンベンション その1

2015-04-26 01:48:28 | Sherlock Topics 2015

今日は朝から、というか昨日の夜中からシャーロックコンで賑わっていたSherlock界隈でした。
今はもう既に日付変わっていますが、そこはスルーで・・・
おかげで今日は一日ツイッターとTumblrをふぁぼる作業に明け暮れていました(他力)
流れてくる画像やレポートを見ると日本にいながらちょっとだけ参加できたような気分で楽しかったです。

コンベンションが終ったらまとめてUPしようかと思いましたが、
大量の画像やQ&Aなどまとめきれないような気がするのでちょっとずつUPする事にしました。
と、いうのも今朝Twitter覗いたら「6歳差」の文字がそこ等中で踊っていて「???」だったのですが、
ジョン・ワトソンのヒストリーコーナーでジョンの生年月日が発表されていたんですね。

まずはアウェルさんが夜中にこんなツイートをされていて、テンション上がっちゃいましたよ。

叫びたーい!いや、このバスに乗りたーい!!

シャーロックコンのスケジュールがちゃんと把握できていませんが、
とりあえずは会場内に設置されている各ブースの模様がたくさん流れていました。
で、その中のひとつ。ジョンのヒストリーをバッチウェブさんがUPしていました。
これ。

と、これ。

写真はコラもありますがほとんどリアルマーティンではないですか。かわいいー。
で、シャーロックのヒストリーはいつ出ますか?

それはさておき、画像を拡大してこの内容を書き写してみましたが、
半分くらい終わったところで、Tumblrできれいに映してあるサイトを見つけましたよ。
もっと早く探すんだった(笑)

1枚目です。

Born on 20th April 1971 at St Pancras Hospital, London.
John was schooled at the King Edward VI Grammar School in Chelmsford.
He studied medicine at King’s College London.
He passed his Batchelors of Medicine and Batchelor of Surgery in 2004.
John worked for a time as a doctor at Broomfield Hospital, Chelmsford,
before moving to a job at the Univeristy College Hospital, London.
He went on to train as a British Army Doctor as St Bartholomews Hospital, London.

1971年4月20日 ロンドン セントパンクラス病院で生まれる。
チェルムスフォードのキング・エドワード VI グラマー・スクール(中学校くらい)に通う。
キングス・カレッジ・ロンドンで医学を学ぶ。
2004年、医学士(MBBS)に合格。
ロンドンのユニバーシティ・カレッジ病院で働く以前は、
チェルムスフォードのブルームフィールド病院でドクターとしてしばらく勤務する。
彼はロンドンのセント・バーソロミュー病院で軍医としての訓練を受ける。

こんな感じだと思います。
このジョンの誕生日が1971年4月20日だと公式が発表したので、いろいろな事が起きていました。
まずは何といっても、ハリーが妹だったんです。

ジョンブログによると、ジョンとシャーロックが初めて出会ったのは2011年1月29日。
なのでジョンは39歳なんですね。
で、その時のブログのコメントでジョンがハリーに「君は36歳なんだよ」って言っているんですよ。
もうびっくりですがもしかして公式はこのブログの事忘れてるんじゃないの?

確かに、ジョンの携帯の推理でシャーロックが「姉か」と言った部分、
原文は「Sister」だけだったので、姉妹どちらかとは書いていあにんですけどね。
日本版は「姉」でしたが、そもそも正典は「兄」のハリーだったので、普通に「姉」って思いますよね。

そんなわけで、ハリーはアル中の妹、という事になりました。マジか・・・・
そして、シャーロックの誕生日は1977年1月6日なので、ジョンとシャーロックの年齢差は6歳という事になります。
ちなみにマイクロフトは1970年生まれだそうなので、ジョンとマイクロフトは1歳しか違わないんです。
うむむー。
私の中ではシャーロックとジョンは2歳差だとばかり思ってたのでかなり驚愕。
ぶっちゃけこの生年はベネディクトとマーティンとほぼ同じなので、その通りにしただけなのかも。

さらに驚愕なのはライヘン以降止まっていたブログを開始した日でもあるんですよね。
「A New Beginning on」です。

何だか少し意図的でもあるのかしら・・・
と、考えようとしましたが今日はもう電池が切れたので次回に持ち越します。
2枚目も次回UPします。