鉄拳?
このブロックは私が破壊してしまった。
どうやってかと言うと、手を振った瞬間に当たって壊れたのである。
先日、道路からガレージに入ろうとした時だ。
あっ、痛い!手を見ると、右手の甲側の第二関節の出っ張りのところが
擦りむけて血が出ていた。一瞬、なんで痛くて、しかも血が出ているのか
分からなかった。
そして痛くなったであろう所を見てみると、ブロックが三角に欠けているではないか。
そんな馬鹿な、、でも、それまではちゃんと角があったのだから、やはり私の仕業か、、
家族にその話をしてみた。
そりゃないでしょ!
すると「そりゃあ ないでしょ!最初から壊れてたんじゃないの?」とか、、
「空手家じゃああるまいし、、」
「空手家だってブロックを割るのは大変なんだよ」とか、、
「もう古いから弱くなってたんじゃないの」とか、、
誰も信じてくれなかった。
絶句!
お茶の先生にその話をしてみた。すると「どんな風にして壊したの?」と聞かれたので、
「はい、手を振って歩いていたんです」と答えた。
すると「まあ!」と言われたっきり絶句されてしまった。
一瞬の気合い
ある時、先生が「私と腕相撲する人いない?」と皆に聞かれた。
私は腕には自信があったので立候補し、先生と腕を組んだ。
そして、行司の「レディゴー!」の合図がおわるやいなや、私の腕は「ぐいっ」と
傾けられてしまったのである。あっという間だった。
「これはね、一瞬の気合いが大事なのよ」「あなた気合いが入っていなかったでしょ!」
80歳のお年寄りに負けた。そうか!気合いか、、そうかも知れないと納得した。
そして、先生はさらに「私はスプーン曲げができるんよ」と笑って言われた。
そうか!先生ならできるかも知れない。「これも気合い」と言うことらしかった。
そうしてみれば、私の「ブロック壊し」も一瞬の気合いのなせる業だったのか、、
結論
信じられない話はいろいろあるが、どうにも分からないことが多い。
それで、家の者曰く「お母さんが壊したとは信じ難い。しかし、結局はどうとも言えない」
優しい結論であった。
このブロックは私が破壊してしまった。
どうやってかと言うと、手を振った瞬間に当たって壊れたのである。
先日、道路からガレージに入ろうとした時だ。
あっ、痛い!手を見ると、右手の甲側の第二関節の出っ張りのところが
擦りむけて血が出ていた。一瞬、なんで痛くて、しかも血が出ているのか
分からなかった。
そして痛くなったであろう所を見てみると、ブロックが三角に欠けているではないか。
そんな馬鹿な、、でも、それまではちゃんと角があったのだから、やはり私の仕業か、、
家族にその話をしてみた。
そりゃないでしょ!
すると「そりゃあ ないでしょ!最初から壊れてたんじゃないの?」とか、、
「空手家じゃああるまいし、、」
「空手家だってブロックを割るのは大変なんだよ」とか、、
「もう古いから弱くなってたんじゃないの」とか、、
誰も信じてくれなかった。
絶句!
お茶の先生にその話をしてみた。すると「どんな風にして壊したの?」と聞かれたので、
「はい、手を振って歩いていたんです」と答えた。
すると「まあ!」と言われたっきり絶句されてしまった。
一瞬の気合い
ある時、先生が「私と腕相撲する人いない?」と皆に聞かれた。
私は腕には自信があったので立候補し、先生と腕を組んだ。
そして、行司の「レディゴー!」の合図がおわるやいなや、私の腕は「ぐいっ」と
傾けられてしまったのである。あっという間だった。
「これはね、一瞬の気合いが大事なのよ」「あなた気合いが入っていなかったでしょ!」
80歳のお年寄りに負けた。そうか!気合いか、、そうかも知れないと納得した。
そして、先生はさらに「私はスプーン曲げができるんよ」と笑って言われた。
そうか!先生ならできるかも知れない。「これも気合い」と言うことらしかった。
そうしてみれば、私の「ブロック壊し」も一瞬の気合いのなせる業だったのか、、
結論
信じられない話はいろいろあるが、どうにも分からないことが多い。
それで、家の者曰く「お母さんが壊したとは信じ難い。しかし、結局はどうとも言えない」
優しい結論であった。