一日遅れて昨日の後半を今から書くことになった。
インターパークかまえで美味しいお昼を食べた後は、あまりゆっくりすることもなく出発だ。
佐伯までは東九州自動車道の無料区間だ。その後は国道10号線で大分市、別府市を通っていく。ゆっくりできれば別府の温泉に入ってのんびりするところだが、先を急ぐ理由がある。2016年12月にも訪れた国東山中の旧千燈寺の跡に行きたかったのだ。
これはドラレコの映像を初めてキャプチャーしたもので、大分から別府に向かうところのこの景色が好きだ。遠くの山に雪があり、手前は樹木のないなだらかな山の斜面、そして海を挟んで別府の市街地が見える。
ただドラレコの性能としては一台前の黒いワゴンのナンバーはまったく読めないのは残念だ。
別府を過ぎて国道は国東半島の付け根を越えていくわけだが、その途中でGooGleMapでは国東山中に入って行けと指令を出している。いい道があるのかなあと指令に従って走っていった。これが大失敗だ。山に登って谷に降りてまた尾根に登ること5回ぐらい。少し上がると道に雪がある。
オールシーズンタイヤにしたので不安はないが、燃料も残り少ないのに登りはきつい。やっと旧千燈寺に入っていく入り口についた。以前に来たときには駐車場への道の上に樹木が垂れ下がっていて、200メートルくらいバックする羽目になった。そこで今回は雪のことも考えて前回停めた場所に駐車してから歩いて行くことにした。奥は雪道のこともありお留守番だ。
まあ、こんな軽トラ御用達の道だが舗装はされている。心配していた上からの垂れ下がりも一カ所だった。これなら無理をすれば入れたかな。
ここから旧千燈寺にはいっていく。旧千燈寺は718年の創建と伝えられる。国東半島では古くから六郷満山文化と呼ばれる独特の山岳宗教文化が栄えており、天台宗補陀落山千燈寺もその中核として栄えていた。しかし戦国時代に大友宗麟によって焼き討ちに遭ってしまった。
石門には何と書いてあるのだろうか。
すぐ上は西行戻しの五輪の塔がある。
西行と五輪の塔は関係はない。場所がここだということだけだな。この付近にいろいろな石造物が並んでいる。
そして六所宮の鳥居。
昔は神仏混交だから、こんなもんだ。
ここから石畳がキレイに残っている。
いよいよ仁王像との再会だ。
前回は向かって左側の吽形像の修復工事中でちょっと中途半端だった。こうして並んでいると、やはり一対のものだなあと思う。
石に刻まれているので細かい細工ではなく大胆に太く力強く表現されている。そしてその表情がアニメのようにユーモラスでさえある。なんか優しい感じで好きだなあ、この仁王さんs。
木造や金銅で山門に納まっていたら燃え落ちていたところだが、石造りのためにこうして残って自分たちが見ることができるというのも縁というものだろうか。
当然木造だったものは何もない。
少し上の方に上がってみると、五輪の塔がまとまって据えられていた。
この後は谷筋を下って道の駅くにみに落ち着いた。
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佐伯までは東九州自動車道の無料区間だ。その後は国道10号線で大分市、別府市を通っていく。ゆっくりできれば別府の温泉に入ってのんびりするところだが、先を急ぐ理由がある。2016年12月にも訪れた国東山中の旧千燈寺の跡に行きたかったのだ。
これはドラレコの映像を初めてキャプチャーしたもので、大分から別府に向かうところのこの景色が好きだ。遠くの山に雪があり、手前は樹木のないなだらかな山の斜面、そして海を挟んで別府の市街地が見える。
ただドラレコの性能としては一台前の黒いワゴンのナンバーはまったく読めないのは残念だ。
別府を過ぎて国道は国東半島の付け根を越えていくわけだが、その途中でGooGleMapでは国東山中に入って行けと指令を出している。いい道があるのかなあと指令に従って走っていった。これが大失敗だ。山に登って谷に降りてまた尾根に登ること5回ぐらい。少し上がると道に雪がある。
オールシーズンタイヤにしたので不安はないが、燃料も残り少ないのに登りはきつい。やっと旧千燈寺に入っていく入り口についた。以前に来たときには駐車場への道の上に樹木が垂れ下がっていて、200メートルくらいバックする羽目になった。そこで今回は雪のことも考えて前回停めた場所に駐車してから歩いて行くことにした。奥は雪道のこともありお留守番だ。
まあ、こんな軽トラ御用達の道だが舗装はされている。心配していた上からの垂れ下がりも一カ所だった。これなら無理をすれば入れたかな。
ここから旧千燈寺にはいっていく。旧千燈寺は718年の創建と伝えられる。国東半島では古くから六郷満山文化と呼ばれる独特の山岳宗教文化が栄えており、天台宗補陀落山千燈寺もその中核として栄えていた。しかし戦国時代に大友宗麟によって焼き討ちに遭ってしまった。
石門には何と書いてあるのだろうか。
すぐ上は西行戻しの五輪の塔がある。
西行と五輪の塔は関係はない。場所がここだということだけだな。この付近にいろいろな石造物が並んでいる。
そして六所宮の鳥居。
昔は神仏混交だから、こんなもんだ。
ここから石畳がキレイに残っている。
いよいよ仁王像との再会だ。
前回は向かって左側の吽形像の修復工事中でちょっと中途半端だった。こうして並んでいると、やはり一対のものだなあと思う。
石に刻まれているので細かい細工ではなく大胆に太く力強く表現されている。そしてその表情がアニメのようにユーモラスでさえある。なんか優しい感じで好きだなあ、この仁王さんs。
木造や金銅で山門に納まっていたら燃え落ちていたところだが、石造りのためにこうして残って自分たちが見ることができるというのも縁というものだろうか。
当然木造だったものは何もない。
少し上の方に上がってみると、五輪の塔がまとまって据えられていた。
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