予期せぬ劇症肝炎、そして生体肝移植からの壮絶脱出劇!
がんばれ!肝臓くん。。
重い命、軽い命
『私の父や従兄弟の死に泣いてくれなかった人のために、私は泣きません。
たとえそれが、世界最大の悲惨な事故で亡くなった方々のためであっても。』
これは、最近読んだ小説「クライマーズ・ハイ」での、クライマックスに向かう中で主人公に投げ掛け
られる言葉。
映画化もされたこの小説、新聞記者である主人公に、新聞社に、新聞を含めた報道そのものに、強烈に
向けられたメッセージだ。
命に、重い命、軽い命、大切な命と、そうでない命、そんなものがあるはずは、本来は無いけれど、
だけど・・・
『世界最大の悲惨な事故』というのは、1985年、日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落した事故。
この世紀の大ニュースに翻弄される地元新聞社の物語。
重大事件、事故におけるマスコミのあり方、もしかしてそこに漠然と違和感を抱く人は結構多いのでは
ないか。
これは、先の大震災時に、自分自身が強く感じたこと。
やはり、申し訳ないけど、同じ時期に続々と亡くした肉親、知人、友人に対する悲しみほど、震災に対
するそれは無かったし、悲しみの尺度が報道の大きさで測られる様な、なんだかそんな・・・
やっぱりはっきり言うのはいくらなんでもはばかれる。
と考えたりしていたら、最近も気になることが。
残念ながら若くして亡くなった中村勘三郎さん。
それを伝えるあるTV番組内で、あるアナウンサーの、
「今日は大きな訃報をお伝えしなければなりません。」
大きな訃報?
訃報に、大きな訃報も小さな訃報も無いのではないか。
おそらく、社会的な影響とか、故人の交遊範囲の広さとか、伝統芸能の継承とか、そんな意味で言った
のだろうけど、ちょっとそれは・・・
悲しみは悲しみで共有したいし、感じるものは感じるし、また、それで思うこともある。
だけどそれは他人に押しつけられるものではないし、ましてや報道にごり押しされるものでもない。
読者投稿欄への投書という形ではあるけど、
『私の父や従兄弟の死に泣いてくれなかった人のために、私は泣きません。
たとえそれが、世界最大の悲惨な事故で亡くなった方々のためであっても。』
と言い放った女性、一瞬でも本気だっただろうけれども、それでも後から強く反省する。
人間誰しも、きっと、命に対する思いは同じだと思う。
たとえそれが、世界最大の悲惨な事故で亡くなった方々のためであっても。』
これは、最近読んだ小説「クライマーズ・ハイ」での、クライマックスに向かう中で主人公に投げ掛け
られる言葉。
![]() | クライマーズ・ハイ (文春文庫) |
クリエーター情報なし | |
文藝春秋 |
映画化もされたこの小説、新聞記者である主人公に、新聞社に、新聞を含めた報道そのものに、強烈に
向けられたメッセージだ。
命に、重い命、軽い命、大切な命と、そうでない命、そんなものがあるはずは、本来は無いけれど、
だけど・・・
『世界最大の悲惨な事故』というのは、1985年、日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落した事故。
この世紀の大ニュースに翻弄される地元新聞社の物語。
重大事件、事故におけるマスコミのあり方、もしかしてそこに漠然と違和感を抱く人は結構多いのでは
ないか。
これは、先の大震災時に、自分自身が強く感じたこと。
やはり、申し訳ないけど、同じ時期に続々と亡くした肉親、知人、友人に対する悲しみほど、震災に対
するそれは無かったし、悲しみの尺度が報道の大きさで測られる様な、なんだかそんな・・・
やっぱりはっきり言うのはいくらなんでもはばかれる。
と考えたりしていたら、最近も気になることが。
残念ながら若くして亡くなった中村勘三郎さん。
それを伝えるあるTV番組内で、あるアナウンサーの、
「今日は大きな訃報をお伝えしなければなりません。」
大きな訃報?
訃報に、大きな訃報も小さな訃報も無いのではないか。
おそらく、社会的な影響とか、故人の交遊範囲の広さとか、伝統芸能の継承とか、そんな意味で言った
のだろうけど、ちょっとそれは・・・
悲しみは悲しみで共有したいし、感じるものは感じるし、また、それで思うこともある。
だけどそれは他人に押しつけられるものではないし、ましてや報道にごり押しされるものでもない。
読者投稿欄への投書という形ではあるけど、
『私の父や従兄弟の死に泣いてくれなかった人のために、私は泣きません。
たとえそれが、世界最大の悲惨な事故で亡くなった方々のためであっても。』
と言い放った女性、一瞬でも本気だっただろうけれども、それでも後から強く反省する。
人間誰しも、きっと、命に対する思いは同じだと思う。
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