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瀬戸際

震災から今日がちょうど3年目、色々と感じることも思うこともあるけれど、実体験してもいない自分が、何か言う
ことなど、おこがましくて。

でも、まだ行方不明の方が二千人以上、そのことだけはなんとも悲しいし、津波の威力、恐ろしさを感じる。




多くの命が失われ、あの、悲惨な状況を目にしてしまうと、どうしても感情移入してしまって、我がことの様に
悲しみを抱いてしまい、思わず涙してしまうことも有るかと思う。


ところが、事故や事件で毎日多くの命が奪われる事実を新聞やTVで見ても、どうしても自分と重ねて見られず、
少なくとも映像を見て涙を流すことはない。

不思議な感覚だ。



人一人の命、「死に方」に違いはあれど、その価値は同じ。


いつかは必ず死ぬ運命だけど、「わけもわからず」は嫌だなぁ。


最期くらいは、「意識して」死にたいものだ。





2005年の夏以来、儲けもの、の人生を歩んでいる。

普通は、どうせなら好き勝手に生きてやろう、と考えそうなそれからの第二の人生。


ところがどっこいそう簡単にはさせてもらえない。


働き盛りで病気になってしまった自分の不幸を嘆くべきか、生きて働く絶対的目標を与えられたことを喜ぶべきか。




一つだけはっきりしていることは、死を間近に感じつつも、奇跡的に助かった事実が、自分にはあること。




そして、震災でも、病気でも、事故でも、「瀬戸際」で生死を彷徨った多くの人がいること。




「運良く」助かった人は、やっぱり精一杯生きていくこと、これだなぁ。
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