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また今年もこの日が

いろいろなことを考えさせられる貴重な日、今日10月4日は、第二の命を戴いた日。


今年で肝臓移植手術から9年目。



さすがに9年も経つと、当時の記憶は薄れつつある。

そもそも当時の記憶が、かなりの範囲で欠落しているのだけれど・・・




男44歳、妻と子供、両親、祖母、いろんなものを背負って、一番頑張らねばならない時期での脱落。

絶対的危機で迎えた移植手術だった。



後に冷静に振り返ってみると、移植までに死ななかったことが奇跡、移植できたこと自体が幸運、もっと
言ってしまえば、社会生活に戻れたどころか、仕事復帰できたことが、本当に幸運だった。






たくさんの人に心配と迷惑をかけた。

移植手術は自己完結できないところに大変さがある。


そこに、手術に至るまでの、本人のみならず、医師、看護師、そして家族を巻き込んでの葛藤と苦悩がある。






移植手術というものが、いかに高度な手技を必要とするもので、それに携わる医師が、想像を絶する経験と苦労をしていること

医師と患者をつなぐコーディネーターが、昼夜を問わず、知力、精神力を駆使して連携を計っていること

術前術後の患者に対応する看護師、専門技師が職務がどれだけ苦労するか

保険の問題、病態の問題、金銭的なこと、どの程度の復帰が可能か、など、関わる課題がどれほどのものか

移植に向き合う、患者も、ドナーも、それぞれの家族も、みんなの人生にいかに影響が大きいかという現実

生体移植でのドナーが味わう恐怖と心体の負担は・・・それこそ患者には想像すらできないこと

知らないところで、家族中が多くの人に支えられていたこと

知らないところで、たくさんの人に復帰を願って頂いていたこと


生き長らえた意味

その後の暮らし方

できることとできないこと

感じていること、感じられないこと

伝えること、伝えられないこと、伝えなければならないこと

知っておくこと、知るべきでないこと


そして、何よりも、ドナーを始め、感謝してもし切れないたくさんの人がいること





これらは、

恥ずかしいけれど手術前にはわからなかったことだ。


自身の余裕の無さは、命の危険を見て初めてわかる。

だからこそ、知っておいてほしいことは伝えなければ、と思う。




いい部分も、負の部分も、「ありのままに」。





術前術後、自分が一番知りたかったことは、移植の手技でも無ければ費用のことでもなく、患者さん自身の
心の持ちようであり、ドナーさんの思い、家族の関わり、そういったことだった。



もう一度、あの経験をしろと言われると、もう・・・絶対に。




だからこそ、これからも伝えられることは伝えていこうと思う。

どれだけ生きられるかわからないけれど、どうせ一度失くした命、いつかは訪れる最期の時まで、精一杯お伝えしていこう
と思っています。



きっとブログの最後は、妻に託します。
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