予期せぬ劇症肝炎、そして生体肝移植からの壮絶脱出劇!
がんばれ!肝臓くん。。
今日、移植から11年、こうして生きてます。
振り返ってみると、2006年8月2日、ちょうど20日後に移植後再手術を控えた微妙な心理状態の中でこのブログを
始めました。
移植手術は成功したものの、術後の回復具合が芳しくなく、一年間の入退院を繰り返し、重度の十二指腸潰瘍を患い、
それでも若干状況が良くなってきていた頃だったと思います。
今考えてみて、当時の状況の中でよくブログを始められたものだと思うのですが、結局、ある程度の着地点が自分なりに見えて
きたからかな、とも思います。
よくこのブログで書くのは、何が一番精神的に辛いかって、「先が見えないこと」が最も辛いと思うわけで、先が仮に、
あまり希望の持てるものでなかったとしても、「先が見えてきたこと」の方が、「先が見えないこと」よりも「まだまし」
と思えるのです。
初回の記事で、
>>>まだまだ完治には程通く、今後に控える手術には不安一杯の毎日ですが、 肝臓移植について、同じ悩みを持つ方や、
御家族の方、興味を持つ方等と情報を共有し、実体験をお伝えし、ともに歩んでいけたらと思い、このサイトを立ち上げました。>>>
と書いています。
情報の共有、本当にたくさんの方に助けていただきました。これは現在進行形でもあります。
移植医療も、薬も、治療体制そのものも日進月歩で進んでいます。
自分にとって、が、どうしても先行するきらいがありますが、どういう形であれ、得られた情報はできるだけブログで発信していけたら
と、これは強く思っています。
助けられた分、その何分の一でもお返しできたら・・・
それこそこのブログを始めた甲斐もあり目標でもあったものです。
実体験・・・
これについては、一つ決めたことは、良いことも悪いことも、ありのままに、ということでした。
決して元気の押し付けにならない様に、と同時に、愚痴と不安ばかりの嘆きブログにならない様に、と。
ですから辛いこと、楽しいこと、半々ぐらいになっているんじゃないかと。
実体験、というのはまさしく現実に体験したことで、たった一つしかないことです。
でも、その時々の思いというのは、必ずしも一つではありません。
同じような事態に陥っても、頭で感じることは千差万別、これはとても不思議なことです。
その時の周りの状況だったり、自分の置かれている立場だったり、気持ちの問題は本当に不思議です。
自分でもよくわかりません。
今でも、調子のいい時はすこぶる調子よく、落ち込む時はズンと落ちこむ、これが現実です。
いつも元気で前向きに、理想ですが無理です。
これはいくら歳を取っても変わりません。
今日から12年目に入っていきます。
例えば癌なら、もうヤマは去った、となるのでしょうが、移植者にとっては、これから、という側面の方が大きいです。
事実今年は、癌の疑いが新たに発生しました。
免疫抑制剤を服用している以上、高確率となるのは避けられないこと、でもこれも人生です。
もう一つ、かつてブログで、
>>>わたしにも夢があります>>>
と書きました。
その夢というか、目標の一つの大きなものが、
【孫の顔を見ること】
なのです。
当時は長男が中一、次男が小五でしたからかなり「夢」に近いものでした。
未来像がまったく描けられませんでした。
今年、姪が二人結婚しました。
先に結婚した姪には9月、かわいい女の子が産まれました。
先日、10月1日はもう一人の姪の結婚式でした。
我が長男くん、社会人二年目、元気に出張の繰り返しです。
いつになるか分からないし予定も無いけれど、いつの日か。
夢はきっと叶う、と信じるしかありません。
2005年8月、衝撃の病名宣告、
2005年9月、透析と血漿交換の地獄の毎日、
2005年10月、奇跡としか思えない生体肝移植による生還、
2006年8月、予想外の再手術、
色々あり過ぎた当時に比べれば・・・
今のいろんなことって・・・
些末なこと、とは言わないけれど・・・
ここまでこれたのは、周囲の最大限の助けはもちろん、
自分なりに頑張ってきたから。
だからこれからも、
がんばれ!肝臓くん。。
そして、
がんばれ!みんな!!
始めました。
移植手術は成功したものの、術後の回復具合が芳しくなく、一年間の入退院を繰り返し、重度の十二指腸潰瘍を患い、
それでも若干状況が良くなってきていた頃だったと思います。
今考えてみて、当時の状況の中でよくブログを始められたものだと思うのですが、結局、ある程度の着地点が自分なりに見えて
きたからかな、とも思います。
よくこのブログで書くのは、何が一番精神的に辛いかって、「先が見えないこと」が最も辛いと思うわけで、先が仮に、
あまり希望の持てるものでなかったとしても、「先が見えてきたこと」の方が、「先が見えないこと」よりも「まだまし」
と思えるのです。
初回の記事で、
>>>まだまだ完治には程通く、今後に控える手術には不安一杯の毎日ですが、 肝臓移植について、同じ悩みを持つ方や、
御家族の方、興味を持つ方等と情報を共有し、実体験をお伝えし、ともに歩んでいけたらと思い、このサイトを立ち上げました。>>>
と書いています。
情報の共有、本当にたくさんの方に助けていただきました。これは現在進行形でもあります。
移植医療も、薬も、治療体制そのものも日進月歩で進んでいます。
自分にとって、が、どうしても先行するきらいがありますが、どういう形であれ、得られた情報はできるだけブログで発信していけたら
と、これは強く思っています。
助けられた分、その何分の一でもお返しできたら・・・
それこそこのブログを始めた甲斐もあり目標でもあったものです。
実体験・・・
これについては、一つ決めたことは、良いことも悪いことも、ありのままに、ということでした。
決して元気の押し付けにならない様に、と同時に、愚痴と不安ばかりの嘆きブログにならない様に、と。
ですから辛いこと、楽しいこと、半々ぐらいになっているんじゃないかと。
実体験、というのはまさしく現実に体験したことで、たった一つしかないことです。
でも、その時々の思いというのは、必ずしも一つではありません。
同じような事態に陥っても、頭で感じることは千差万別、これはとても不思議なことです。
その時の周りの状況だったり、自分の置かれている立場だったり、気持ちの問題は本当に不思議です。
自分でもよくわかりません。
今でも、調子のいい時はすこぶる調子よく、落ち込む時はズンと落ちこむ、これが現実です。
いつも元気で前向きに、理想ですが無理です。
これはいくら歳を取っても変わりません。
今日から12年目に入っていきます。
例えば癌なら、もうヤマは去った、となるのでしょうが、移植者にとっては、これから、という側面の方が大きいです。
事実今年は、癌の疑いが新たに発生しました。
免疫抑制剤を服用している以上、高確率となるのは避けられないこと、でもこれも人生です。
もう一つ、かつてブログで、
>>>わたしにも夢があります>>>
と書きました。
その夢というか、目標の一つの大きなものが、
【孫の顔を見ること】
なのです。
当時は長男が中一、次男が小五でしたからかなり「夢」に近いものでした。
未来像がまったく描けられませんでした。
今年、姪が二人結婚しました。
先に結婚した姪には9月、かわいい女の子が産まれました。
先日、10月1日はもう一人の姪の結婚式でした。
我が長男くん、社会人二年目、元気に出張の繰り返しです。
いつになるか分からないし予定も無いけれど、いつの日か。
夢はきっと叶う、と信じるしかありません。
2005年8月、衝撃の病名宣告、
2005年9月、透析と血漿交換の地獄の毎日、
2005年10月、奇跡としか思えない生体肝移植による生還、
2006年8月、予想外の再手術、
色々あり過ぎた当時に比べれば・・・
今のいろんなことって・・・
些末なこと、とは言わないけれど・・・
ここまでこれたのは、周囲の最大限の助けはもちろん、
自分なりに頑張ってきたから。
だからこれからも、
がんばれ!肝臓くん。。
そして、
がんばれ!みんな!!
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