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自分の立ち位置

自分の今の立ち位置みたいなもの、って、どうなんだろう。

どう見られているか、どう思われているか、それがどういう認識の元によるものなのか。





そもそも自分、良くも悪くも他人からどう思われているかとか、全然気にしないタイプ。

それでいいと思っていた。

別に自分は自分だし、とか、わかってくれている人にわかってもらえていれば、って。


この病気をした後も、お世話になったたくさんの人には最大限の感謝を持ちつつ、自分から何か能動的に行動を起こすとか考えてはいなかった。




一昨年の中学の同窓会、そして先日の小学校のクラス会、40数年ぶり、20数年ぶりに会う旧友ばかり。

病気をして初めての集まりだった中学の同窓会は、自分が、大病をしたという事実は多くの人が既に知っていた、みたい。



どんな集まりでも、仲間の飲み会でも、やはり未だに気を使う。

酒の席で酒を飲めないのもそう、病気の話しもそう、もちろん今の状態もそう。

やっぱり場の雰囲気には気を使う。こんな自分でも。できるだけ明るい話題を、とか。



それが、何十年ぶりのクラス会。

自分はどうなんだろう、って、やっぱり考える。

気は使うけど、自分は自分、っていうのは、正直、あった。




今は自分の努力でラーメン屋さんを開業しているYちゃん、小学校の時も、中学校の時も、Yちゃん、Yちゃんって、結構仲が良かった。

そのYちゃんが、

「M(自分)、身体大丈夫かい?」って。

話しかけて来てくれた。

「一昨年はさぁ、ずっと気になっていたんだけど、結局話せず終いで。」

「なんかあれこれ聞くのも悪い気がして。」


自分は自分、なんて考えていた自分が恥ずかしくなった。

他人からどうとか気にしない、とかうそぶいていて、実は他人からものすごく気を使われていたんだなって。



更にYちゃん、

「うちの店にK(同じく仲の良かった同級生、前回も今回も欠席)の父さんが来てさぁ、『なんかMくん、大病になってすごく大変だったみたいだよ』って言われて、

病気をしてのは聞いていたんだけど。」って。



K、Kの父さん?

なぜに父さん?

まぁ狭い町ではあるけれど...




たぶんみんな、詳しい病気の様子は知らない。

自分としては全然聞いてくれてかまわないんだけど。

でも、

逆の立場だったら、

大きな病気をして、マスクをして、小学生時代よりは明らかに細身になって、

そんな旧友に、やっぱりあれこれ聞けないかなぁ。



そんな自分に、適度の距離を持って付き合ってくれていたんだなと、改めて思い知らされた。



記念撮影の時、

マスクを取ろうとした自分に、

「Mくん、大丈夫?」

って心配してくれる女子。


「お酒はダメなんでしょ」

って、お茶を勧めてくれる男子。



みんなやっぱり「あれこれ」は聞いてこない。



なんだかなぁ。

かなり気を使わせているんだろうな。

本当は一人一人とじっくり話しをして、そんなこんなを払拭できればいいんだろうけど。





もうこの歳だし、亡くなっている友もいる中、一人の病気話しなんて誰も興味ないだろう、なんて考えていたけど、

真剣に気にかけてくれている人もいる。





自分の今の立ち位置、この先の振舞い方、いい歳になって考えさせられてしまうのです。






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