青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

僕と、カメラと写真と・・宮崎美子・大場久美子

2021-08-07 | こんな「モノ」ありました!

僕がここに古い写真を掲載出来るのは、カメラを持っていたからです。今は誰でも携帯電話で撮影できます。デジカメも安く買えますし、いつでもどこでも誰もがカメラマンです。しかし、1970~1980年代には、携帯電話もなく、写真を撮るにはフィルム・カメラが必要でした。そして、フィルム代、現像代、プリント代と、写真を楽しむためには結構お金が掛かりました。誰もが楽しめるものではなかったのです。

僕は中学の時に写真部に入っていました。写真部に入れば、フィルム代は必要ですが、現像やプリント代は実費です!つまり格安!(笑)勿論撮影に必要な基本的な知識を学ぶことも出来ましたが、1番の目的は経費節減でした。(笑)

当時はみんながスーパーカーや鉄道写真に走る中、僕はプロレス会場に走っていました。(笑)でも、中学2年の時に撮影した写真がコンクールに入賞し、その写真が雑誌で使われ、写真が作品としてお金になるということも、その時に知りました。



さて、大学時代以降僕の愛機になったのは、実は余りにも有名な、ミノルタX7でした。当時はカメラ屋さんもあちこちにありました。ズームレンズや望遠レンズを買うために、アルバイトもしました。

でも、どのカメラを買うかに重要な役割を果たしたのは広告。当時の雑誌には、カメラの広告は大きく取り上げられていました。ステレオ、タバコやウイスキーの広告もよく載っていました。カメラの二大人気広告と言えば、ミノルタの宮崎美子と・・・

オリンパスの大場久美子。



僕は宮崎美子の広告に負けました。(笑)カメラを買うならミノルタ・・・広告を見ながら決めました。その後はミノルタのα7000も買いました。そう、オートフォーカス機能を世の中に広めた名器です。


ニューOS劇場 ~梅田

2021-08-07 | 昭和の映画館

80年代、梅田コマ劇場とナビオ阪急の間の道を進むと、阪急ファイブの入り口手前左に、ニューOS劇場がありました。このニューOS劇場、若い人と話をすると「??」と、なることがあります。

僕らの下の年代の人は、HEPナビオのスグ北側にある劇場をOS劇場と呼ぶ人がいますが、それこそ僕らが「ニューOS劇場」(写真①)と呼んでいた劇場です。写真の右に阪急ファイブが位置します。

本家の「OS劇場」閉館後に、上の「ニューOS劇場」をOS劇場(写真②)と改名したのです。上と下の写真の、劇場の看板を見比べて下さい。改装されていますが同じ劇場です。(カラー写真の方が古く、白黒の方が後から撮影されています。)

その後映画館を2つに分割し、OS劇場とOS名画座(写真③)としました。写真右上の看板がまたも変わっていますね。

「TOHOシネマズ梅田・別館」と、またまた名称が変わり現在に至っています。

僕が鑑賞してよく覚えているのは、80年「地獄のモーテル」。土曜の初日に学校帰りに寄ると、これが酷い映画でした。(笑)ホラーではありがちな話ですが。でも、これだけは記しておきたい。この時、映画が始まっても、館内の照明が落ちなかったのです。明るい場内のままホラーを見る。とんでもないハプニングでした。



そして後年、あのマイケル・ジャクソンの「スリラー」の「ゾンビ・メイク」を担当した、リック・ベイカーの名前を一躍有名にした「狼男アメリカン」を、82年に観たのもここでした。こちらは期待もせずに行きました。おふざけのようなチラシ(宣伝)だったし、監督が「ケンタッキー・フライド・ムービー」のジョン・ランデスだったし。(笑)でも、これは当たりでした!本当に面白いホラーでした。どちらも現在、DVDで観ることが出来るのは嬉しいですね。