青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

ローゼンタール ~人生初の喫茶店!

2021-07-20 | 昭和の喫茶店

高校3年の秋から浪人時代にかけて、そして大学時代の前半。僕は久しく足を運んでいない、国鉄茨木付近に行くことが、まだありました。「BIG BOX」でテニスをしたり、友人の親が経営していた駅前の喫茶店「チップイン」に行ったり。社会人になると友人たちが就職で全国に散り、茨木はそれ以降忘れた街になってしまいましたので、今現在の茨木駅前がどうなっているかは知りません。

でも、最初に茨木で行った喫茶店は覚えています。国鉄茨木駅前の阪急バスのりばの歩道橋と繋がっている、茨木駅前ビルにあった地下1階の喫茶「エンゼル」です。友人Kが「喉が渇いたからお茶でもしよう」と誘ってくれたのですが、それまで僕は喫茶店に入ったことがなかった!

喫茶店に出入りする高校生なんて、「不良」だと思っていたのです!(爆笑)

いかにも慣れたKに笑われながら入り、何も分からないのでコーヒーを注文。Kは「レスカ頂戴!」。レスカって一体なんだ?「え?レモンスカッシュやん!」と言われても、レモンスカッシュが分からなかった。Kが大人に見えてしまった・・・。

するとK、レスカに付いてるサクランボを口に含んでモグモグしてる。何をしてるか問うと、サクランボの軸を口の中で、舌で結んでる!(笑)「どうしてそんなことをするの?」と訊くと、「これはキスの時に必要なテクニックが身に付くの!」って・・・・😱😱 知らない世界、トワイライトゾーンに迷い込んだのかと思う時間でした。

残念ながら「エンゼル」の写真はありませんが、その後お腹が空いたときに食べに行く、今で言うファミリーレストランが同じ階にありました。「ローゼンタール」です。この写真がそこです。

このビルの2階にあったレコード屋「小森楽器」と、「佐野書店」も覚えています。

また、阪急茨木市駅前の「阪急茨木駅前センター」の1階にあった「フミレコード」で、ジャーニーのアルバム「エスケイプ」を買ったのは、なぜかよく覚えています。あの「クライング・ナウ」「オープン・アームズ」の入ったアルバムは、商業ロックとか揶揄されていましたが、とてもお気に入りでした。


昭和17年創業の老舗

2021-07-19 | 昭和・懐かしい北摂の風景

阪急池田駅から176号線を、落語ミュージアムの方向へ少し歩くと、1軒の古本屋があります。



「平田書籍店」・・昭和17年創業。

戦後に僕の父親が大阪に出て来た時には、もうあったのを覚えているのですから相当古いとは思っていたのですが。周囲には漫才ミュージアム等の新しい建物、マンションはあるけれど、家が少なく時間貸しの駐車場ばかりなのは、阪神淡路大震災で軒並み家が傾き取り壊されたからです。このお店も相当なものですが、北大阪の地震でも倒れませんでした。



ただ、いつ営業しているのか全く不明。午前中開いていると思ったら、午後2時にはもう閉まっていたり、何日も開いていないと思ったら、ある日の夕方開いていたり。

たまに開いていても、この通り。あまりWelcomeの雰囲気ではありません。そもそも古本屋さんと言っても、店頭で個人客相手に商売をするだけではなく業者間取引も多いので、そういう営業をされていたら、そうお店を開いている時が多くなくても不思議ではありません。

ただ、正直お店に入るのが怖い。入った時に地震が来たら・・と思うとね。


LPコーナー ~懐かしの輸入レコード店(2)

2021-07-18 | 昭和・懐かしい大阪の風景

先日に続き、大阪の輸入レコード店について。輸入レコード店「ダン」から少し離れたご近所には、「LPコーナー」がありました。現在の阪急東通りの古本屋「まんだらけ」(ここは昔、ディスコ・フォーカルポイントでした。)の前にありました。このお店を知っている人は、現在アラカンの方には多いかと思います。

ここは2階にわずかばかりのサントラを置いていましたが、実はロック専門店。大阪では輸入盤のパイオニア的存在の店で、ジャズも合わせて在庫は3万枚。レコード屋というよりも、レコードと共に情報を売る店として認知されていました。店員さんが、結構自慢気に私物を自慢したりすることも。(笑)

家族経営店で、確かロックに詳しい3兄弟の次男が店長でした。ネイザン・イーストが来日の度に通ったのがこのお店です。よく、「このレコード珍しいよ」「探していた廃盤入っているよ」と気さくに教えてくれましたが、さすがに値段が高かった!このお店が残念なのは、周辺のお店に比べて学生の僕にとっては値段が高かったことでした。

このお店は、数あるお店の中でも1つ特徴がありました。買ったレコードはビニール袋に入れるのではなく、特別なビニールを本のカバーのようにレコードジャケットに折り込んでくれました。

これが見た目綺麗で!今も残っているレコード袋を、写真でご覧下さい。

いつもレジの中にいたお姉さん(3兄弟の誰かの奥様)が店内で倒れられ、そのままお亡くなりになって、閉店となりました。(2001年にはまだ営業していました。)今も残っていればな~と、しみじみ思うお店です。「ダン」から「LPコーナー」と反対方向には「VIC」もありました。ここはアメリカンロックに強く、直輸入盤を置いていました。(2006年に閉店しています。)

僕のこういうお店への通いは、CD時代になってストップ。90年代には仕事が忙しくなり、お店に足を運ぶ時間も無くなりました。あるいはそれよりも、時代の音楽がラップや黒人音楽などに変わって行き、僕の好みに合わなくなったことが大きいと思います。90年代以降、いわゆる新譜で購入したCDは、ジャクソン・ブラウンやイーグルス、ポール・マッカートニー、クラプトン等の息の長いアーティストだけで、2000年代からは、好きな音楽はジャズに変わりました。


あぶさん ~大谷人気で野球人気よもう1度!

2021-07-17 | 本は友達・読書も大切です!

プロ野球を観なくなって、もう随分経ちます。球場に行ったこと・・ひょっとして、平成には行っていない?ドームに行ったのも、全てプロレス観戦かコンサートだった・・😱 最後のプロ野球観戦は、昭和の時代の阪神ー巨人戦でした。

高校野球はいつもテレビで観戦するのに、プロ野球はもう全く観ない。ジャイアンツの監督も4番も、エースも知らない。まぜこうなったのでしょう?

まず、昔は読売テレビ(日本テレビ系)が、いつでも巨人の試合を放送していた。夜にTVをつければ必ず、プロ野球中継が放送されていました。今ではたまに野球放送をしていても、巨人の試合ではない!これは驚きです。

そして、人気野球漫画。プロ野球の「巨人の星」から高校野球の「キャプテン」まで、いろんな名作が野球を広め、実在の選手を知らしめて来ましたが、そういう漫画作品が無くなった!こういったこともあり、そもそも名選手は海を渡る時代にもなったことで、スター不在というか、選手が小粒になりました。

プロ野球選手のルックスも、ウエイトトレーニングで鍛えた身体はごっついのですが、何か爽やかではない。髪型もボサボサ。いつからか流行った金のネックレスは、今も見てて不快になります。(笑)時々聞く不祥事も情けないほど庶民的。80~90年代は、野球選手は小奇麗で、サッカー選手は小汚い。でも今は、どの業界のプロスポーツ選手の姿も、清潔感を感じません。

逆に野茂~イチロー~松井~大谷・・・大リーグで活躍した(している)選手の方が、清潔感に溢れています。

僕は「巨人の星」も「侍ジャイアンツ」も「キャプテン」「プレイボール」「ドカベン」も読みましたが、「あぶさん」で野球が好きになりました。「野球狂の詩」も。水島新司の漫画は楽しく、野球人気を底上げしていました。

小学校5年の時から「ビック・コミック・オリジナル」でリアルタイムで「あぶさん」を読み、楽しく野球を観ていた時代が懐かしい。

業界にはスーパースターが必要です。スターが1人いれば、その業界は潤います。人気に陰りが見えた大リーグでは、日本人である大谷選手をクローズアップしています。業界を底上げするためにです。日本でもそういう取り組みをしてほしい。そのためには、まず外見も大切。見た目がゴロツキのような業界は駄目です。昔はプロレスラーはスーツが似合いました。今は格闘家はゴロツキのような人ばかりです。タトゥーも不快です。

何でも個性と持てはやす前に、清潔感が大切だと僕は考えます。


バッハ会長の広島訪問がそんなに悪い?

2021-07-16 | 今を考える
僕はバッハ会長は嫌いになりましたが、世間もバッハに負けず劣らず余りにも馬鹿に思えます。なぜ彼の広島行をそんなに反対し、批判するのか?
 
 
本日、公園付近で抗議運動を行った反対派からは「何様のつもりだ」「私欲のために来るな」との声が漏れたそうです。
 
広島はバッハが好きだから、彼が来るのを歓迎しているのではない。IOCの会長だから、広島は来てもらった方が良い。昔からいつも広島・日本は言って来た。「原子爆弾の悲惨さを全世界に訴えたい」と。IOC会長が来ることは、その目的に相応しい。
 
それを「バッハ行くな!」とだけ叫んでいる人間は、大きな目的を忘れている。ワクチンと同じで、メリットがデメリットを上回っているのだから。
 
みんなコロナ憎し、五輪憎しで余りにも目が塞がっている。こういう大衆が1番始末に悪いし、僕は怖い。集団ヒステリーほど質の悪いものはありません。