青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

交声堂 ~懐かしいレコード屋さん

2021-08-27 | 昭和・思い出は色褪せない

僕が最初に「行きつけ」にしたレコード屋さんは、阪急宝塚線・豊中駅前・新開地デパート2階にあった「交声堂」でした。

千里中央・セルシーの1階にあったレコード店「交声堂」は、僕がレコードを買い始めた豊中駅前「新開地デパート」2階にあったお店の姉妹店。豊中店がデパート閉館と共になくなった後は、店長も千里店に。

題名も歌手も知らない曲を、店長の前で恥ずかしかったけど「はもる」と、「これです!」って、ほぼ100%レコードかCDを出してくれた。あんな店はなかなか無い!マニアしか知らないようなアーティストのCDでも、ストックしていたり。

千里中央には、ここよりもっと大型のいろんなCD屋が出店しては閉店して行く中、交声堂だけはレコード時代から行き残っていたのに・・。目の前の中川ムセンがCDやLDのコーナーを大きく設置した時も生き残ったのに・・。

それが、千里中央セルシーの取り壊しの煽りで・・。



長年続いて来た・・「交声堂」も閉店となりました。豊中駅前店が新開地デパートの取り壊しと共に閉店、この千里中央店もセルシーの取り壊しと共に・・。

とても残念でなりません・・・。あって当たり前と思っていたものも、いつかは無くなって行きます。


プロレス夢のオールスター戦 ~1979年8月26日

2021-08-26 | 素晴らしかった興行・イベント

今日8月26日は、誰が何と言おうと、僕のプロレス記念日。1979年8月26日、プロレス夢のオールスター戦が、日本武道館で開催された日です。当時の日本にプロレス団体は、新日、全日、国際の3団体。それがチケット1枚で全団体のトップレスラーを全員観ることが出来る!

ファンが投票で決定した試合、因縁の試合、団体同士がメンツをかけた試合。しかも、テレビ放送無し!会場に行った者だけが目に出来た夢のイベント。

そのチケットを、高倍率の抽選をくぐり抜けて手に入れ、大阪~東京の夜行バス・ドリーム号で武道館に観戦に行ったことを、まるで昨日のように思い出します。写真はパンフレット(左)と半券。

高校時代の真夏の夜の夢!僕が東京に出て行ったのは、これが人生初!友人Wと一緒に行きました。朝6時に東京・八重洲南口に到着、渋谷等を観光して、待ち切れず午後3時過ぎには武道館に。その時点で相当な人が列を作っていました。



会場は武道館動員新記録の16,500人超満員。あれだけ人が入った武道館を、今でも他に見たことがありません。試合開始は6:30なのに、5時にはパンフレットが完売していました。



猪木、馬場、長州、鶴田、藤波、マスカラス、タイガー・ジェット・シン、ブッチャーらが勢ぞろいの試合カードは、パンフレットの写真をご覧下さい。この顔ぶれに加えて、第1試合バトルロイヤルには、山本小鉄、前田日明、ハル園田、平田淳二、小林邦昭、ミスター林、斉藤弘幸、若松市政、ジョージ高野、鶴見五郎、大仁田厚、渕正信、越中詩郎、魁勝司、百田光雄、デビルムラサキ、伊藤、米村、肥後、高杉の豪華顔ぶれが揃った。まさに空前の顔ぶれのオールスター戦だったのです。



全試合が素晴らしかったのは当然として、メイン後に猪木が「馬場さん、次に馬場さんと会う時は、このリング上で戦う時です。受けてくれますか?」と突然のマイクアピール。馬場が「受けよう」と答え、館内に拍手とどよめきの大波が打ち寄せた。あの大歓声、ストロボの光は本当に凄かった!



試合終了が10時を過ぎて、帰りのバスが間に合わない。全荷物を友人に託し、僕がひたすら走り、出発直前のバスを15分遅らせてもらって帰阪しました。オールスター戦に行ってて・・と言うと、バスのお客さんがみんな「待ってあげよう」と運転手を説得。出発するや、「結果を教えてほしい」という人々のリクエストで1時間を過ぎる独演会に。のんびりした時代でした。乗っていたサラリーマン大喜び!

この日の試合はメインを全て。その他の試合はダイジェストで8ミリで撮影、地元の公民館を借りて上映会を行いました。僕らのプロレスの8ミリと二本立て!雑誌「ゴング」の読者のコーナーに告知したら、全国から2,000通を超える申し込みのハガキが!1日3回の上映会で何百人ものファンと、あの興奮を共有することが出来ました!著作権も何もゆる~い時代の出来事。(笑)

その時の公民館は、今もほとんど当時のままの姿で残っています。

因みに、今もこの時の試合はDVD化も放送もされていませんが、テレビ朝日には映像が残っています。猪木さんは闘病中、馬場・鶴田・ラッシャー木村、マサ斉藤、阿修羅原・・多くの選手がこの世を既に去っています。いい加減にソフト化して欲しい。プロレス界にとってTV局は、今でも、いつまでも足枷になったままです。


菊一堂 ~昔懐かしい、豊中のお店

2021-08-25 | 昭和の喫茶店
昔は手土産というと、ここでケーキを買って持って行ったものでした。
 
ケーキとパンが自慢の「菊一堂」・豊中店。ロマンティック街道から中央環状線を超えた、少路北交差点と、梅花や豊中高校との間にありました。
 
 
1階ではケーキ・パンをお土産や、お中元・お歳暮に買う人が多く、2階は食事も出来るラウンジでした。
 
 
豊中自動車教習所の路上研修では、この前の道を使います。昔は人、自転車、路上駐車が多い道で、とても嫌な場所でした。今は自動車が少なくなり、渋滞も無くなりました。
 
僕が学生時代にここのラウンジに行くと、当時の僕から見ればオバサン達が多く、チラチラと視線を感じて居心地の悪さも感じたものですが、今から思えば、品のある生活に余裕のあるお客さんが集うお店でした。こういうお店、今はなかなかありません。

チャーリー・ワッツ逝く ~ザ・ローリング・ストーンズの名ドラマー

2021-08-25 | 素晴らしかった興行・イベント

英ロックバンド、ザ・ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツ(Charlie Watts)さんが24日、死去した。80歳。ワッツさんはロンドンの病院で、家族に囲まれながら安らかに息を引き取ったという。心からご冥福をお祈り致します。

先月ストーンズは9月からの北米ツアーを発表、大喜びしていたのですが、その後チャーリーは健康上の理由で、ツアーへの不参加を表明。それからわずか2週間で、この訃報となりました。ビートルズのジョン・レノンの時もそうでしたが、悲しみはいつも突然です。

僕は1988年、ミック・ジャガーのソロ・コンサートの大阪城ホールを楽しみ、ストーンズ初の来日コンサート、2003年3月10日・日本武道館に足を運んだことを、昨日のように思い出します。1973年の初来日が中止になり、それから30年目にしてようやく実現した日本武道館での公演でした。公演のSS席チケットは22,000円でした。当時としては破格の値段でした。

チャーリー・ワッツは、どんな大きな会場でも、ドラムセットの太鼓は4つ。それは必要最低限の音で演奏するという彼の信念からでした。ミック・ジャガーは「バンドの最終的な決定はチャーリーがするんだ。俺もキースもチャーリーのOKなしでは動けないんだ。」と語っていました。メンバーの中で喧嘩が1番強かったのもチャーリーで、キース・リチャーズも「ドラマーは腕っぷしが強いんだ」と。

ストーンズは多くの作品と、来日コンサートを残してくれましたが、もう観ることが出来ないという現実は、本当に寂しく感じます。

3/10(月) 日本武道館
March 10 at the Budokan

1.Jumping Jack Flash
2.You Got Me Rocking
3.Live With Me
4.Let It Bleed
5.No Expectations
6.Rocks Off
7.Everybody Needs Somebody To Love
8.Worried About You
9.Midnight Rambler
10.Slipping Away
11.Before They Make Me Run
12.Start Me Up
13.It's Only Rock'n Roll
14.Rock Me Baby
15.Can't You Hear Me Knocking
16.Honky Tonk Women
17.Tumbling Dice
18.Brown Sugar
19.Satisfaction (encore)


セルシー・スカイプール ~千里中央

2021-08-24 | 昭和・懐かしい北摂の風景

歳を重ねて、古都を訪ねたり美術館に行くことは、今そしてこれからだから「こそ」楽しめること。還暦後、第一線を退いてからは、昔を懐かしむのも楽しい。そして1人であれこれ思いを巡らすのも楽しいけれど、仲間と一緒にワイワイ話せるのは尚楽しい。

ただし、大勢で思い出を共有して楽しむには、文字で描写するだけでは限界が。百聞は一見に如かずというように、どんなに古く、小さく、汚れた写真であっても、1枚の写真は人の心に多くを語りかけてくれます。

しかし、僕らが若い時に、一体誰がカメラを持ち歩いて街の風景を撮影したでしょう?カメラは今でも高価ですが、フィルム、現像、プリント代は余りにも高額でした。だから、写真をネットで探そうにも、アップされている写真がありません。

だから僕は足で探す。現場百回ならぬ、古本屋お百度!捨てられる寸前の雑誌の広告を探す。そこに当時の社会が反映されているからです。



解体されてしまった千里中央セルシーに、こんな時代があったのを覚えていますか?これは昭和59年(1984年)6月2日にオープンした、セルシースカイプールです!セルシーはボーリング場、映画館、ビリヤードだってあったことを忘れないでほしい。

1階にあった中川無線、交声堂、地下のぼったくりスナック、いくつもの潰れたレコード屋、千里中央にはいろんな思い出があります。