青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

イベルメクチン ~実際に使った効果!

2021-08-23 | 今を考える
コロナから回復した僕の近しい友人。前回の投稿でご紹介したイベルメクトールを飲み、思わぬ軽症で済んだと喜んでいたのですが、咳が残るので病院に行くと、CTを撮影されました。(下の写真は、その本当の写真です。)
 
自宅療養中は軽症中の軽症だったと、あまり重い症状を感じていなかった本人です。自宅療養中の症状は、「熱は38℃まで。酸素は93-94。胸に違和感、全体に倦怠感がありました。咳はほとんど出ていません。食欲もある。」というものでした。
 
呼吸器系専門の先生に診て頂いたところ「人工呼吸器一歩手前だった」とのこと。また、「この時点で進行が止まったのは、奇蹟的」とも言われました。
 
 
エクモの手前😱 奇蹟の回復😱
 
リアルな教訓。この友人は救急車を呼ぶほどの症状を感じなかったものの、もう少しで急変してアウトだった可能性があったのです。自宅療法が如何に危険であるか!これで息苦しくなって救急車を呼んでも、搬送先が見つからなければお終いです。
 
実は友人の感染経路は家族感染。家族の1人が友人と2人で食事をしたくらいしか感染に思い当たるふしはない。ところが食事を共にした相手は、コロナに感染しませんでした。これが感染経路特定の難しさです!
 
友人の家族が39度の熱、酸素飽和度90まで下がって「死ぬかも」と泣き出し、救急車を呼んでも入院とならず、自宅療法と告げられました。(その後30歳と若かったこともあり回復)「これまでに経験の無い苦しさを、数日間味わった」と。
 
そして僕の友人が感染。家族のような症状になったら絶対に危ないと、遅ればせながらイベルメクトールを服用。そのおかげで軽くて済んだと思っていたのが、実は進行が止まっていたのは奇蹟的だったのです❗
 
これを以ってイベルメクチンが効くとは言えません。飲んでなくても治ったかも知れないし、飲んでもそこまで進行した等とも、いくらでもいろんなことが言えるからです。だから物凄い数の治験が必要なのですが、そんな研究を待っていられないのも事実です。実際今回、この薬のおかげで命を拾ったのかも知れません。
 
大阪の自宅療養者は20日現在12,000人です。医師が平日の日中に往診し、入院等を判断する仕組みを「これから」作ると言っています。確かに保健所の電話の判断よりも正しい判断になりますが、肝心なのは要入院と言われても、入院できる場所がないことです。やることが遅過ぎる😡
 
僕も感じたコロナの生々しい怖さを皆さんも感じ、これは絶対に感染してはいけないという思いを強くしてくれることを強く希望します。
 
感染しないように自分の行動を制御すること。「じゃあ、どうすればいいの?」と居直って腹を立てるのではなく、自分に出来ることを考え、自分で決断し、自分が行動することが大切です。東京都の5千人感染の翌日から、2週間の休暇を現在取得して、外出を控えている友人が僕にはいます。これも1つの自己判断による行動です。

イベルメクチンを購入した理由!

2021-08-22 | 今を考える
イベルメクチンの商品である、「イベルメクトール」を個人輸入しました❗
 
コロナに感染した時、ワクチンは最重要防御アイテムです。ただし、防弾チョッキを着ていても、時には貫通して助からない時もあるし、頭を撃たれたら死ぬように、ワクチンも万能の防御アイテムではありません
 
逆にコロナに有効だと科学的に証明され、実戦配備されている武器(治療に使われている薬)も、まだありません。
 
しかし、アビガンやイベルメクチンのように有効ではないか!と言われているものはあります。がん患者にも、昔からインターフェロンや丸山ワクチン等が投薬されますが、効果があるとされながらも、誰にでも有効で広く親しまれている薬は今も無い。だから、新興宗教の出番が今でもあるのです。
 
 
ただ、コロナに感染した時に入院も出来ず(出来る時は生きるか死ぬか)、突然容態が悪化して自宅で死ぬこともあると言うのに、自宅療養者に配られる薬はありません。これは現在の事実です。こんなに怖いことはない。
 
人によっては効果があるかも知れない。少なくとも自分の既往歴等を鑑みても、危険な副作用はない。だから僕は万が一の「お守り」として購入しました。
 
実際、僕の親しい友人は、この薬を飲んだことによって悪化することなく軽症でコロナを克服しました。ここが難しいところで、この薬が100%効果があったのかどうかは分かりません。僕は薬とはそういうものだと思っています。特にコロナの場合は、今進めているワクチン接種も実は治験です。完璧な確率された医薬品ではありません。ワクチンで命を落としたごく少数の方もいます。医療に100%はありません。
 
僕の友人が実際にイベルメクチンを飲んで、コロナがどうなったかは、次回お伝えします
 
ただ、イベルメクチンは、そもそも特許権切れで、今はとても安価なジェネリック薬品も出ているものです。開発された目的は違いますが、日本人がこれによりノーベル賞を獲ったのも事実です。ところが、それを2錠で千円オーバーの法外な値段でネット販売していたり、動物用のものも売られていたりしています。そういうものを見れば、ネットで売っているものが違う薬だったりするかも知れません。とても注意が必要だとここに記しておきます。
 
安易に自己責任だからと、手を出すのも注意が必要です。この投稿を1つの情報として発信しましたが、僕は医師ではありません。ご質問は医師にして下さい。ネットにもいろいろ書かれていますが、素人判断は危険です。僕は万が一の時は、座して死を待つほど、自分の命を他人任せにする人間ではないので、こうやってジタバタする用意をしています。(笑)
 
追伸:厚生労働省の山本史官房審議官は18日の衆院内閣委員会閉会中審査で、新型コロナウイルス感染症の患者を対象にした「イベルメクチン」の使用に関し「治験結果を踏まえ、今後承認申請がされた場合には、優先かつ迅速に審査が行われる」と指摘、同時に「有効性、安全性が確認された治療が、できるだけ早期に実用化し、国民に供給されることを目指して取り組みたい」と述べています。
 
誰がどう保証しても、何があるか分からない。それくらいコロナは危険で新しいウイルスだということ。感染しないように細心の注意を払い、日々を過ごすべきだと思います。新型コロナウイルスによって行動が変わったか?というアンケートに、40%もの人たちが「変わらない」と答えています。褒められたことではありません。自分と周囲の人を守るために、変えなければならないのですから。

誰もがした「シェ~!」

2021-08-21 | 昭和・思い出は色褪せない

元気な僕の小さな頃!3歳くらいかな?僕らの世代なら誰もが知ってるこのポーズ、赤塚不二夫の漫画「おそ松くん」に出て来るキャラクター、イヤミの・・・

「シェ~」です❗️

みんなもこのポーズで撮った写真を、持っているんじゃないかな?



加えて二丁拳銃にカウボーイ・ハット。この頃からジョン・ウェイン映画を僕は夢中で観ていたそうです。まさに昭和の写真ですが、後ろの車のナンバーも1が3並び!

さて、僕と車の間の地面にあるこの「穴」、何だと思いますか?コンクリートでわざわざ作られています。何なのかは僕も分からないのですが・・・

子供が多かったこの時代、このコンクリートの部分は、子供の遊び場所でした。なぜか?雨上がり、地面は泥んこだけど、このコンクリの部分は乾いて座ることも出来たから。この狭さで十分ママゴト遊びをみんながしていました。「ベッタン」は、わざわざここでやったくらいです。

しかし、最近はこういう子供の遊びのスペースがありません。こういう場所には自転車、バイクを置く。歩道であっても家の前に花壇やごみ箱を設置する。自分の土地ではなくても、自分の「陣地」を増やすように、どこにでも物を置く人が多い。マンションの共有部分にも、置いてはいけないものを置く人がいる。賃貸マンションならまだしも、分譲でもそういう人が多い。

みんなやることがケチ臭いというか、マナー知らずの人が増殖しました。古き良き日本なんて、もう夢です。古き良き時代の日本に戻すのは、その時代を知っている僕たち世代の仕事だと思います。知らない人に「やれ!」と言っても、それは無理です。


昭和の江坂 ~ダイエー本社もありました!

2021-08-20 | 昭和・懐かしい北摂の風景

これは、昭和63年(1988)の1月の江坂駅の周辺。前年比2倍に地価が跳ね上がった時です。

江坂駅の北口を出て、少し豊中方面に行き、新御堂を振り返った所です。

右手の新御堂手前のビルが旧ダイエー本社ビル。新御堂の向こう側が、ビルの中に森がある大同生命ビルです。
 
 
「日本初の本格的なアトリウム」を持つ大同生命ビル。昔、ミンデンというカフェがここにあり、「酸素コーヒー」が売り物でした。酸素吸入付きでした。
 
話を写真に戻し、フクトク相互銀行も写っていますが、いろいろありました。この道をずっと行くと右手に大きな江坂公園、その先にキャットミュージックカレッジがあります。

千里セルシー 最後の姿!

2021-08-19 | 昭和・懐かしい北摂の風景

今日は千里セルシーの最後の姿を掲載します。

昔は華やいでいたあの場所も、2019年5月31日をもって取り壊しとなりました。取り壊し前に最後に現地を訪れたのは同年5月19日で、すっかりすたれていました。ボーリング場(2階から4階まで!)もプールもダイエーも、とっくの昔に閉鎖され、入っているテナントが出るのを待って、取り壊しという話は何年も前から。1店舗出るたびに明かりが消えて行きました。
 
大阪北部地震のダメージが、閉館への道に拍車を掛けました。(そもそも度重なる震災で、より厳しくなって行った耐震基準から外れていたので取り壊しという話になっていました。)
 
 
千里セルシーは昭和47年のオープンでしたが、昭和50年(1975年)の夏に撮影した写真がこれです。中央には「あの」ステージが、この時からあったのが確認出来ます。
 
写真中央に小さなステージが見えますか?古くは光GENJI、堀ちえみ、矢井田瞳らが、観覧無料でミニライブをこのステージで行っていました。
 
 
写真はそのステージでのパクパクコンテストで、西城秀樹の振りを完コピしていた、中学生の川崎麻世です。