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🐤 殉教の鶴港、長崎・・・ 神への信仰と人の政治

2006年02月15日 07時33分53秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 殉教の  如月に鳴き  鶴港

    馬糞 Bafun

 

  

 

 

  やまとの美意識は鶴を好む。

 縁起のいい鳥である。

 日本の商標と言ってもよい。

 JALも、鶴を商標とする。

 

 長崎の港は奥に深く入り込んでいる。

 それが鶴の首のようだというので、鶴の港という。

 

 福岡には舞鶴公園があり、唐津には鶴が翼を広げた姿

といわれる鶴翼の虹ノ松原がある。

 もっとも現在は片方の翼がもぎ取られた形になってし

った。

 鶴に由来する地名は全国に豊富である。

 

 長崎の開港はポルトガル船が寄港した室町期に遡るよ

であるが、それ以前は良く分からない。

 万葉の時代は、バイキングの港のように、寒村に過ぎ

かったのではないか。

 溺れ谷にような平地のない交通不便の地形である。

 

 その港の奥の砂浜で伴天連の処刑が行われた。

 平戸にも隠れキリシタンを処刑して、湾全体が血で赤

染まったと言われる場所がある。

 鶴の港も、一鳴したであろう。

 

 キリシタンの遺伝子には、殉教と征服が裏腹をなす残

潜んでいる。

 為政者が恐れたのも無理からぬ。

 愛の教えは普遍的だが、それが民族や国を侵すグロー

リズムになっては本末転倒である。 


 愛は与えるものであって、奪うものではなかったはず

ある。

 イエスは、愛の普遍性ゆえに、政治の権威を離れた救

主だった。 

 

 信仰は文明の中核であり人間の命というべきものだが、

信仰の誤解は悲劇を歴史に刻むものである。

 そうした悲劇を、イスラム教徒が刻みつつある。 

 政治に反映すべき信仰は神の愛であり、神の愛は憎悪

連鎖を断ち切る正義ではないのか。

 

 国を奪ったイスラエル、その用心棒のアメリカは憎い

あろう。

 しかし、憎悪や戦争の正統を宗教に求めてはなるまい。

 政治は徳と力のバランスなのだ。

 正義を通すには、徳による尊敬の確立が優先である。

 

 イスラエルという国が、神の権威によって正当化され

とは思えない。

 それを許す神があるならば、さらに上なる神によって

かれることになろう。

 同じ過ちを、イスラムの信仰者がアラーの名の下に侵

べきではない。

 それは神への冒涜である。


 防衛戦争は、あくまで人間の責任において、政治の智

をもって、最後の手段とするべきである。

 時を待たなければならないことである。

 

 事を急いで、若者を自爆テロで死なせてはなるまい。

 それは、イスラムの未来を弱くする悪政に他ならない。

 まずは、今ある資源を大切にして、豊かな国づくりを

てほしい。

 

 

 天命は、人知を超えて働くであろう。

 それが信仰ではないか。 

 「和をもって尊しとなす」というやまとの憲法精神を

りたい。

                             

 Bafun 

 

 

 ※ 26聖人⇒ http://park10.wakwak.com/~cdc/nagasaki/26seijin/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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