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+ ヒヨドリとの遭遇・・・ 「ゆとり教育」は国家の大罪  競争社会教育にスポーツマンシップ教育を

2006年02月21日 07時54分46秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 ヒヨドリの  ヒヨコさんと  目を合わせ

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 季節は雨水(ウスイ)、水ぬるむ雪解けの頃である。

 立春は生きているが、雨水は忘れられた季語になった

のではないか。


 日本語から、土に根を下ろした季節感が失われつつあ

る。

 子供たちには、農作業を教えてほしい。

 時間をかけて自然の恵みを受けて育てる喜びは、意図

して教育すべき事柄になったことを自覚しなければなら

ない。

 

 同様に、学校の体育教育を立て直す必要がある。

 「ゆとり教育」という勤勉と競争原理を否定した国賊

的教育行政の被害はまだ復旧していない。


 競争なくして発展はない。

 競争はやりがいを生み、トレーニングに耐える努力の

喜びを生み、友情と生き甲斐を生む。

 それが自立心を促しもする。

 

 過酷な受験競争というが、文武両道の教育と入学試験

を工夫すればよい。

 切磋琢磨する競争を教えてやればよい。

 ルールつくりの問題である。

 競争社会は発展するやりがいのある社会である。

 スポーツのように、友情を育てる競争こそが、現代競

争社会に求められている。

 企業倫理の基礎ともなる。

 スポーツマンシップを文武両道教育の柱にしなければ

ならない。

 

 

 国賊というべき文部官僚らは本来処刑されてしかるべ

きである。

 子供たちの成長を阻害し、荒廃させた罪は国賊級の重

罪である。

 公平な競争を否定した教員は教育の現場から排除され

なければならない。

 それが、学校経営である。


 教育現場に緊要なことは、人材を選定排除する権限の

確立、教育経営権の確立であろう。

 

 平等とは公平を意味するのである。

 切磋琢磨する競争努力を意味するのである。その結果

としての貧富の差は問題ではない。

 格差が問題ではない。

 堕ちこぼれた貧民の救済、慈悲の精神が必要というこ

とである。 


 較差が問題だというのは嫉妬心である。

 社会主義の感覚である。

 思いやりを悪平等にすりかえる悪魔の手法にほかなら

ない。

 

 学校教育に農業とスポーツを戦略的に導入したいもの

である。

 そして、「ゆとり凶育」や「ジェンダーフリー狂育」

の輩を教育現場から排除し、その反社会性を制裁するこ

とが求められる。

 法改正が必要なら、毅然として行うべきである。

 これが国家百年の計であり、競争社会のけじめであろ

う。

                          

 Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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