望年の 雲に座りて 富士の山
馬糞 Bafun
「九州の田舎から出てきました~」。
こう言うと、江戸の人は親切に教えてくれるのだそうだ。
ばあちゃんが教えてくれた。
草枕の枕詞というべきか。
「右も左も分かりましぇん。高田の馬鹿はどこですな・・・」
草枕を編む暇もなく、花の都東京に飛び立った。
もちろん、「富士山の見える席ばたのんます」と予約した。
「東京は気温9度、雨と報告されています」というアナウンス。
(富士は見えぬと申すか・・・)
しかし、瀬戸内海の島々が美しかった。
まるで宝箱のようだった。
水軍の歴史がいっぱいに詰まっているのだろう。
そろそろこの一年を振り返らなければならない。
水仙が香り立ち、梅が鳥を呼んだ。
満開の桜吹雪が新緑を呼び、やがてせみ時雨に猛暑の太陽が
昇った。
夏祭りだ花火だとにぎわったことだった。
それもつかの間、夏の名残の朝顔を点々と追っているうちに紅葉
の季節になり、いちょう並木が黄色く染まった。
「枯葉」を口ずさみつつ、咲く花もまばらにクリスマスツリーが盛大
に点滅している。
師走である。
この一年は論点整理の一年だったような気がする。
論点整理の基準は、物事の本質から発想するということではない
だろうか。
創造の原点もまた、本質論からの発想である。
経済の本質は、貧困克服の智慧と努力である。
⇒ 経営者の責任もまた、貧困の追放に第一責任がある。
「ワーキングプア」とは、NHKの社会主義偏向番組での造語である
が、非正規雇用のあり方には、やはり問題があると思う。
自己保身、ご都合主義の雇用形態だからである。
また、非正規雇用を選ぶ側にも問題がある。
それは本来、自己派遣会社という個人経営の覚悟を持って、状況
の変化に対応できるさまざまな工夫をしなければならない。
国家もまた、独立して商売する機会を作ってやるべきではないか。
市場の創設である。
繁栄の本質は、人々の幸福を実現することである。
⇒ 天意あるところに繁栄がある。
自己中心は悪である。
企業は利益を追求する前に、天意をこそ追及しなければならない。
仕事の本質は、創造的な人間関係である。
⇒ どうすれば創造的な人間関係(会社)ができるか、これがマネー
ジメントの課題である。
創造こそは生きがいというべきである。
人間の本質は人間関係であり、信頼関係である。
⇒ 自己中心は悪である。
自己中心を排除しなければならない。
教育はこれを教えなければならない。
自分とは、自分を有らしめている人間関係に他ならない。
自分とは何者かを知りたければ、自分がどういう人間関係を結ん
でいるかを反省すればよい。
個性とは、自助努力と愛の成果である。
⇒ 人は人生の計画を持ちつつも、まっさらになって生まれてくる。
その個性は、どのような努力をしたか、その成果をどのように人々
の幸福のために生かしたかによって定まるということである。
これこそは、教育の本質的な内容というべきであろう。
政治は天命を受けて国を治めることである。
⇒ 天命は徳に下る。
政治の基本はリーダーたちの徳によって国を治めることである。
治めるとは発展と調和のある国家とすることである。
徳とは、天命を受ける器である。
人の支配となるとき、国は乱れる。
悪口雑言の政治家は、政治の神聖を汚している己の不徳不明を
恥じよ。
天下を乱すは大罪なり。
国際政治の天命は、核兵器を全廃することにある。
⇒ 負の遺産を清算しなければ、新しい繁栄はない。
国は、徳の政治と徳の教育を競うべきである。
徳こそが、無限の繁栄を生んでゆく。
梅士 Baishi