下駄履いて 津屋崎あたり 暮れの月
馬糞 Bafun
春も夏も近づかなかった津屋崎を、久しぶりに歩いた。
白足袋に桐の下駄、二の字二の字の音を立てて歩くのは、日本人
ならではの楽しみだ。
今年もまた、クリスマスの季節に閑散とした宮地嶽神社に参拝した。
太い注連縄のクリスマスもよいではないか。
紫に染まった旅の空に、糸のような月が冴えていた。
萩原朔太郎の月である。
因みに、朔太郎の月は青白いが、馬糞の月は金糸である。
朔太郎の詩は、病人の冴えわたった感性というべきか。
学生時代の感傷である。
猫
まつくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる。
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、ここの家の主人は病氣です』
萩原朔太郎 『月に吠える』(大正六年二月)
http://takemoto.picot.ne.jp/tsuki.htm
【和装ビジネスフォーマルの提案】
夏に買った日田杉の下駄が心地よく、手放せなくなった。
下駄はすぐに割れてしまったので、長崎の桐の下駄に代わった。
冬場は五枚ハゼの白足袋で下駄を履く。
混雑する電車の中では草履がよいのだろう。
革靴では窮屈だ。
靴下も足首を絞めて不愉快だ。
それなのに、いつの間にか西洋のスタイルが正式になってしまった。
安部総理推奨のもと、正式の日本スタイルを呼びかけてはいかがか。
クールビズというラフスタイルも正式だと認知したから実用された。
革靴が日本の気候に合っていないことは誰もが知っている。
健康と日本的な美意識の復権のためにも、日本スタイルビジネス
フォーマルを工夫してほしい。
そのようなコンテストを政府が呼びかけてくれたら、正式になる。
和服業界が苦戦するのも、和服がビジネスフォーマルでないからだ。
久留米絣も、博多織も、伝統の技術と感性が失われようとしている。
これでは、九州国が文化の実体を失う。
和服は世界に普及するであろう。
美しく、快適だからである。
そこで、和風ビジネスフォーマルコンテストを年に二回ほど各地で
開催してはいかがだろうか。
一言、国会や政府から発言してもらいたい。
「新しい発想が求められている。ビジネスの場にも和風ビジネスフォー
マルを工夫してもよいと思う」と。
お金のかからない経済活性化政策ともなろう。
新しい時代の和風を、世界のために再興しようではないか。
Bafun
糸のような 名月もあり 冬の暮れ
馬糞 Bafun