仕度して 迎えし陽かな 冬至祭
馬糞 Bafun
かぼちゃと柚子湯、今日は冬至である。
年の瀬の底を打って、太陽は日一日と力を増してゆく。
太陽にぽっと血の気がさしたかのように、今日は小春日和になり
そうだ。
さりながら、納まりそうにもない仕事を抱えて、世間胸算用よろし
く、つかまりそうな鶏の勢いでバタバタとするのであろうか・・・。
しかし、陽はまた昇る。
その太陽にあやかって、再びエネルギーを増してゆきたいものだ。
日の丸の国、日本である。
【教育の基本】
教育基本法の改正がなり、「愛国心」という言葉が教育の言葉とし
て復権した。
当たり前だが、正常化への一歩である。
国民主権国家として、愛国心を育てることは教育の中心目的であ
る。
だからこそ、公費で教育を補助する。
もし、そうでないとするなら、公費の無駄遣いとして責任追及され
るべきであろう。
愛国心を養わないでは、主権国民という概念は成り立たないであ
ろう。
何のために日本という国の国民として生きてゆくというのか。
獅子身中の虫としてか。
愛国心が戦争ナショナリズムに直結するかのように喧伝するのは
愚かなことである。
自分の国を守らない国民ほど愚劣なことはない。
その愚劣が少年非行に現れているではないか。
彼らにとって、愛国心など無縁のことであろう。
愛国心とは、世の中のために生きようとする志である。
自己中心を恥と教える、教育の基本ではないか。
人権という概念を、自己中心権、自己保身権、責任転嫁権、不満権
としてはなるまい。
【人権と国家の関係】
人権とは国民の幸福責任である。
幸福になる責任である。
幸福とは何か。
心豊かに人格が発展することであろう。
貧富の差が問題なのではない。
心の貧しさこそが問題なのである。
お金があっても心が貧しいのでは不幸である。
心まで貧しくなるような貧乏は不幸である。
そうした不幸を追放するために教育があり、政治があり、経済が
ある。
幸福になるべき自分とは何か。
自分とは、生かされている自分である。
すなわち、自分を生かしめている人間関係こそは、幸福の主体で
ある。
すなわち、自己中心ではなく、人を精神的に豊かにすることが、結
局は自分を豊かにすることであり、そこに関係としての「与えること
の幸福」という人権の本質が現れる。
人権は国家を前提に保障される。
国家社会が成り立たなければ、戦争になるであろう。
それが今という時代である。
だからこそ、愛国心は、平和に暮らすための努力であり、人権の本
質といえるのである。
換言すれば、国家の独立と発展に努力をすることが、人権であり、
主権者としての責任なのである。
人権の本質は、責任である。
与える責任、貢献する責任であるということを忘れてはならない。
戦争をしてはいけないという本来の意味は、泥棒をするなというこ
とに他ならない。
侵略戦争の禁止である。
さらに、避けがたい防衛戦争をしないですむようにするには、危険
な国家と極力利害関係を持たないようにすることだ。
友は選ばなければならない。
だから、チャイナ、コリア、ロシアには近づくなと警告している。
これほどの平和主義はないであろう。
戦後61年、そろそろ日出ずる国日本は冬至を迎えてよい。
愛国心を否定しては、国際社会で侮られることはあっても、尊敬さ
れることはない。
さあ、「日向かぼちゃ」をいただき、「大分の柚子」の湯につかって、
国家の発展と調和に貢献できる人生を努力してゆこうではないか!
「日本の冬至・祭り」の祝辞としたい。
梅士 Baishi