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+ 春の苑・・・ 「潔く生きる」 「燃え尽きるまでやる」幸福人生

2008年05月18日 19時08分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  人もまた   穏やかに咲き   春の苑 


   馬糞 Bafun  

 

 

 

 

 

 

 花一輪も美しいが、群れ咲く色とりどりの花々はさらに美しい。

 人もまた、本来、そのようなものなのではないのか。

 

 隣の花に嫉妬する花もあるまい。

 足の引っ張り合いをして咲く花もあるまい。

 むしろ、一斉に花咲かせようと心を通わせているようである。

 春の喜びを表現するのが、花の喜びでもあるように。

 

 人の心が美しいからこそ、花の美しさに共鳴するのである。

 美を楽しむことは、魂の美しさを磨くことになるだろう。

 幸福という感覚もまた、至福の美しさを持っている。

 

 人はもともと、幸福を知っている。

 だからこそ、幸福を求めるのである。

 花を楽しむように、他人の幸福を見て心楽しみたいものだ。

 そうすることで、心が洗われるのである。

 また、がんばろうと思えるのだ。

 

 他人の幸福とは、努力している人の輝きである。

 努力が報われた人の喜びである。

  

 

 

 

 あの世は調和された世界なのだという。

 なにしろ、飢えて死ぬこともない。

 生活に困るという不安がない。

 本来の心のままに、穏やかに、調和して生活することができる。

 

 ところが、この世には、資産や収入がなければ穏やかに生活する

ことができないという不安が付きまとう。

 さらには、他人と比較して劣等だと評価される不安もあるだろう。

 そうした不安が、この世の不幸感覚である。

 

 

 

 

 しかし、考えても見よ。

 優越感のために、あの世から出てきたのか。

 食べるために、試練のこの世に出てきたのか。

 

 この世の試練の中にあって、魂の美徳を発揮しようとして出てきた

のではないのか。

 試練に耐えるほんものの幸福をみがきあげようとして、出てきたの

ではないのか。

 

 この世に出てきた課題に対して、精一杯に努力して倒れるなら、

それは本望なのではないか。

 そう考えれば、この世の不安は、案ずるほどのことではない。

 

 「潔く生きる」という心意気があれば、

 「燃え尽きるまでやる」というアスリートの気概があるならば、

 何を恐れることがあるだろうか。

 

 

 

 

 試練とは、意のままにならないことである。

 どうすれば克服できるか、それこそが問題である。

 

 人の心も行動もまた、意のままにはならない試練である。

 この試練に対して、強制や裁き心で会してはならない。

 強制も裁き心も、あの世の生活にはなかったことである。

 

 心を合わせ、力を合わせて協力して仕事を行うこと、

 これが、この世の最大の課題であろう。

 裁き心や恨み心に陥らないことが、最大の試練である。

 

 

 結局、人は魂を鍛え、心を磨くためにこの世に来ている。

 試練の中にあって、素直な学習者であり、忍耐強い教育者であり、

敬虔な信仰者でありたいものである。

 

                               梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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