敗戦の国 白百合を 赤く染め
馬糞 Bafun
戦争とは無縁の国のように思い込むことが日本の平和主義である。
しかし、夏になると、敗戦の夏がよみがえる。
日本は、未だに敗戦国である。
チャイナもコリアも、敗け犬日本のくせに、と悪態をつきながら金品領土をよこ
せとゆするのである。
その卑屈さが、未だに敗戦の夏を引きずるのである。
それが、「大人の判断」なのか。
それが、国際協調主義の良識だというのか。
卑屈は、それ自体が恥である。
この競争社会にあって、卑屈は反社会的である。
試練の大きさは、
それが与えられた者の大きさを推察させるものである。
卑屈、自虐は、試練には似合わない。
その人物の本来の大きさに、そぐわないことである。
ああ、だから、たくさんのいじめの試練を受けているものたちよ、
己の大きさを、その使命の大きさを確信せよ。
その血の色を正義の色にせよ。
体内に巡るその赤い血を、太陽の色に染め上げることである。
国も人も、卑屈であってはならない。
やはり、ゆりは純白がよく似合う。
やはり、ゆりは伝統の鬼百合が安心である。
血の赤い色は、人の正義の色だと感じたいものだ。
日本の赤い色は、太陽の色だと感じたいものである。
日本人に巡る赤い血は、太陽の力なのである。
梅士 Baishi